【わかりやすく解説】結局、ドイツ観念論って何?【「精神」が全て】

こんにちは!

「凡さんす」(@academicocktail)と申します。

いままでにカント・ドイツ観念論関連の本を20冊くらい読みました。

この記事では、こういった疑問に答えます。

この記事で答える疑問↓ 

ドイツ観念論という言葉をよく聞くので気になって調べてみたけど、いまいち意味がわからないや。精神?理性?絶対者?なんのこっちゃ。

西洋思想や歴史の勉強をしていると、「ドイツ観念論」というキーワードを聞くことがあると思います。

2019年6月現在ですと、ネット上を探してみてもあまりわかりやすく解説しているサイトがないと感じたので、簡単に解説を試みてみます。

2分ほどで読み終わる記事ですので、どうかお付き合いください。

【意味不明】ドイツ観念論の辞書的定義

はじめに、ドイツ観念論の辞書的定義を参照してみましょう。

一八世紀末から一九世紀前半にかけてドイツで興隆した体系的哲学の総称。カントの超越論的観念論に刺激を受け、その二元的性格を克服する形で、全現実が絶対者の自己展開として学的・理性的に把握される。フィヒテ・シェリング・ヘーゲルを代表者とする。

出典:三省堂大辞林 第三版(コトバンク)

はい、全然意味がわからないと思います(笑)

とりあえず簡単に解説しますと、

18世紀末-19世紀前半にかけてドイツで交流した体系的哲学の総称

とある通り、「総称」であり、ドイツ観念論に分類される哲学者でも、思想の中身は結構様々です。

とはいえ、「ドイツ観念論」と括られているからには、概ね共通している要素があります。それがこちら↓

カントの超越論的観念論に刺激を受け、その二元的性格を克服する形で、全現実が絶対者の自己展開として学的・理性的に把握される

この部分を噛み砕く形で、ドイツ観念論の特徴を断片的にではありますがわかりやすく書いてみたいと思います。

ドイツ観念論の目標 = カント哲学を乗り越えること

さて、先ほどの定義に、

カントの超越論的観念論に刺激を受け、その二元的性格を克服する形で、

とありました。

カントとは、ドイツ観念論より少し前に活躍したドイツの哲学者です。

エマニュエル・カント(写真:Unidentified painter/Wikimedia commons Public domain)

ドイツ観念論はこのカントの哲学を土台にしており、そして、カントの思想を乗り越えることをその目標としていました。

では、そもそもそのカントの思想とはどのようなものだったのか。

カントの二元論:人間は「わかること」と「わからないこと」がある

カントの思想は非常に膨大なのでここでその全貌をまとめることはできませんが、ここでは必要な部分だけ抜き出して解説します。

カントが主張したのは、

人間は「わかること」と「わからないこと」がある

ということでした。

「何を当たり前のことを!」と思うかもしれませんが、当時は全く当たり前じゃなかったんですね。

そのときヨーロッパ哲学界で力を持っていたライプニッツ=ヴォルフ学派のなかでは、簡単に言うと、

人間はよく考えればなんでもわかる

という考え方が信じられていました。

「なんでも」というからにはほんとうに「なんでも」でして、

・洗剤で洗えば油汚れは落ちる。

・パソコンを見すぎたら目が悪くなる。

などという経験すればわかる事柄はおろか、

・神は存在するか?

のような、経験の範囲を超えたことも、「考えればわかる」と信じられていたのです。

これに対してカントは、

いやいや、人間には「わかること」と「わからないこと」があるでしょ

と主張しました。

正確に言うと、

「経験」したことはわかる(例:洗剤で洗えば油汚れは落ちる)

「経験」していないこと・し得ないことはわからない(例:神は存在するか)

という分け方です。

そして、カントは、人間が認識し得ない世界や物事の真の姿を「物自体」と名付け、人間が見ているのはその仮の姿としての「現象」にすぎないと考えました。

人間がわかること(現象)とわからないこと(物自体)の世界をきっぱり分けたのです。

カントの考え方はこのように世界を二分するので、「二元論」と呼ばれます。

【これだけ抑えよう】ドイツ観念論の特徴は「一元論」

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(写真:Wikimedia commons Public domain)

カントの思想は、物事の真の姿(物自体)と人間が認識している姿(現象)をきっぱりと分ける二元論の思想でした。

これは、良く言えばおさまりのいい思想です。

それまで「神は存在するか」「来世は存在するか」などの考えても考えてもわからない議論を繰り返していた哲学会に対して、

「考えてもわからないことについての議論はやめて、科学的な実験観察を通して経験できることについての認識を深めていきましょう」

と提案したのがカントでした。

※そのうえで、「道徳」と「美」についての議論が続いていくのですが、今回は割愛。

しかし、これでは結局モヤモヤを残してしまうのも事実です。

人間が「経験」できる範囲で議論を止めるのではなく、哲学によって世界のあり方をすべて説明したい!

こう考えて、カントが分けた物自体と現象の世界を哲学によって統一しようとしたのがフィヒテ・シェリング・ヘーゲルらドイツ観念論の学者らでした。

彼らは、カントとは違って世界を一つの原理で説明しようとするため、「一元論」の立場に分類されます。

フリードリヒ・シェリング(写真:Wikimedia commons Public domain)

「観念論」とは?

最後に、「観念論」という言葉の意味に触れて終わりたいと思います。

「観念論」の定義は様々ですが、基本的には「唯物論」に対置される言葉です。この2つの違いは次の通り。

観念論:世界は精神的なものから発生している。

唯物論:世界は物質から発生している。

例えば、「恋」というものの存在についての捉え方は、観念論と唯物論で次のようになります。

観念論:恋はパートナー間のの結びつきである。

唯物論:恋は脳神経の働きによって発生する。

このように、観念論が目に見えないスピリチュアルな存在を仮定して物事を考えようとするのに対し、唯物論は、全てを物理法則によって説明しようとします。

このうち、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらは、「精神」「理性」といったものによって世界のあり方を説明しようとしたので、「観念論」に分類されています。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(写真:Jakob Schlesinger/Wikimedia commons Public domain)

まとめ

今回は、ドイツ観念論についてわかりやすく解説を試みました!

物事の真の姿(物自体)と人間が認識できる範囲(現象)を区別したカントの二元論を克服し、精神のはたらきによって一元論的に世界のあり方を説明しようとしたのがドイツ観念論でした。

ドイツ観念論は、直接カントに哲学を学んだフィヒテによって始められ、そのフィヒテの学生であるシェリング、その友人であるヘーゲルなどに引き継がれていきます。

ヘーゲルの死後は急速に力を失っていきましたが、マルクス主義に影響を与えるなど、哲学史のなかで重要な一コマであったと言えます。

カントからヘーゲルに至るドイツ観念論の代表的思想家4人の人物像を紹介したこちらの記事もよかったらあわせてご覧ください!

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(写真:Jakob Schlesinger/Wikimedia commons Public domain)

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