イソップ童話「3人のレンガ職人」の”裏教訓”を探ってみる

イソップ童話

多くの方が、子どものころ絵本等でよく読んだのではないでしょうか?

有名なお話ですと、

・ウサギとカメ(コツコツ努力しましょう)

・ガチョウと金の卵(欲張りはダメです)

・金の斧(嘘をついてはいけません)

などがあり、括弧で書いたようにそれぞれなにかしらの教訓を示すものがほとんどです。

今日は、そんなイソップ童話の一つ「3人のレンガ職人」について、西洋哲学をヒントにあらたな解釈を加えてみたいと思います。

※2018年5月7日に公開した記事ですが、同年9月15日に一部加筆修正しました。


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「3人のレンガ職人」

さっそく、寓話の内容をご確認ください。

旅人が歩いていると、レンガを積んでいる一人の男に出会いました。旅人は尋 ねました。

「何をしているんですか。」
「レンガ積みだよ。」
「大変ですね。」 「そうだよ。でも、この仕事のおかげで俺は家族を養っているんだ。」 旅人は、その男に慰めの言葉を残して歩き続けました。

しばらく行くと、せっせとレンガを積んでいる別の男に出会いました。旅人は尋ねました。

「何をしているんですか。」
「大きな塀を作っているんだよ。」
「大変ですね。」 「いやいや。俺は、世界一の技術を持ったレンガ職人を目指しているんだ。」

旅人は、その男に励ましの言葉を残して歩き続けました。 すると、今度は、楽しそうにレンガを積んでいる別の男に出会いました。旅人は尋ねました。

「何をしているんですか。」
「教会を建てているんだよ。」
「大変ですね。」 「とんでもない。教会を建てて人の心を癒し、多くの人を救うんだ。」 旅人は、その男にお礼の言葉を残して歩き続けました。

出典:平成30年1月10日三豊市立上高野小学校学校だより 2017 年度 No.28

いい話ですよね。普遍的な人生教訓を示す物語として、多くのビジネス書などにも引用されています。

この3人の職人の特徴は、次のように簡単にまとめることができるでしょう。

1番目の人:自分の生活の必要を満たすため
→ 「大変」そうにレンガを積む

2番目の人:「世界一の技術を持ったレンガ職人」になるという目標を達成するため。
→「せっせと」レンガを積む

3番目の人:「教会を建てて人の心を癒し、多くの人を救う」という目的に向かって。
→「楽しそうに」レンガを積む

このように比較して、「目標や目的を持って物事に取り組もうね!!」という教訓を得るため語られることの多い寓話です。

では、ここで質問です。

「3人の職人のうち、一番立派なのは誰でしょうか?」

「立派」というのは、みなさん自身の基準で構いません。おそらく、多くの方が「3番目の職人」と回答するのではないでしょうか?

では、もう一つ質問です。

「3番目の職人は、なぜ、立派であるといえるのでしょうか?」

あるいは、

「3番目の職人を立派たらしめているのは、誰の行動でしょうか?」

この回答を保留した上で、一つ西洋思想を紹介します。

職人がしてる事は次のうちどれ?:労働・仕事・活動

以下では、20世紀のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの主著『人間の条件』を参考にしながら、レンガ職人の寓話が持つ意味を考えていきたいと思います。

とても難解な本ですが、ポイントだけであれば簡単です。

アーレントは、私たち人間が「行うこと」を次の3つに分類しました。すなわち、「労働」(labor)「仕事」(work)「活動」(action)です。

アーレント自身による説明には専門用語が多く含まれておりわかりにくいので、入門書より定義を引用します。

労働は、生命を維持するための活動力であり、新陳代謝や消費と密接に結びつく肉体の労働であり、産物としては後に何も残さない。

仕事は、ワークが仕事をするという意味の動詞であるのと同時に作品を意味する名詞であることから示されるように、相対的に耐久力のある物を成果として残す活動力である。

活動は、人と人とのあいだで行われる言論や行為であり、絶対に他者を必要とする活動力であり、人間が複数であるという事実への応答である。

出典:矢野久美子『ハンナ・アーレント』中公新書、pp.146~147

(太字は管理人)

それぞれ、簡単に解説しますね!

労働(labor)

労働は、一瞬だけ残る成果物を生み出す行いであり、料理をイメージしていただければわかりやすいと思います。ラーメンは、作られた直後に食べてなくなるか、食べなくても伸びて無価値なものになってしまいます。

労働は、食べなければ生きていけない動物として人間の性格に対応しています。明日の生命の維持のために、原初時代の人間は狩猟と採集という労働を行い、現代人は働いて給料を得るという労働を行います。

話を寓話に戻すと、1番目の職人は「労働」としてレンガを積んでいます。「食べるために働く。働いたらお腹が空くから食べる……」このように、「労働」と「消費」のサイクルはそれ以上の何も生み出しません(正確には彼は家族を養っているので事情はもう少し複雑ですが、それはおいときましょう)。

このような労働と消費の無限ループから抜け出し、自分の人生を意味のあるものにするために、人間が行うのが「仕事」です。

仕事(work)

仕事は、労働と違って耐久性のある成果物を残す行いです。イメージしていただきたいのは本の執筆です。料理が生命維持のためのものだったのに対し、本はその人が死んだ後も残ります。

寓話の2番目と3番目の職人は、それぞれ「塀」「教会」という耐久物を作る「仕事」として、レンガを積んでいます。塀や教会は、彼らがそのレンガ積みを終えた後でも、またおそらく彼らが死んだ後でも、成果物として残ります。こうして、彼らは「労働と消費の無限ループ」の虚しさから抜け出すことができました。

ところが、「仕事」を行う人間は新たな虚しさにぶつかります。それは、手段と目的の無限一問一答です。

3番目の「レンガで教会をつくる」という「仕事」は、レンガ→壁→教会という作業工程に分解されると思いますが、ここで、次のような一問一答が繰り返されうるのです。

レンガはなんのため?(手段)→壁のため(目的)

壁はなんのため?(手段)→教会のため(目的)

……じゃあ、教会はなんのため?(手段)→?

人間は古来から様々な道具を作っては用いてきましたが、我々が作る道具は概ね何かの役に立つという有用性の観点から製作されてきたものでした。

そして、このように有用性の観点から「仕事」によって作り出された耐久物が意味を持つためには、最終的な目的が設定されなければなりません。

それは、例えば「スプーン」のような原始的な道具であれば、結局のところ「食べるため」という労働と消費の無限ループに逆戻りしてしまうかもしれません。困ったものです。

解決の糸口を見つけるために、ここで、3番目の職人の発言を思い出してみましょう。

「とんでもない。教会を建てて人の心を癒し、多くの人を救うんだ。」

「教会」が「人の心を癒す」。職人のこの発言をヒントに、アーレントが最も重視した行いである「活動」へと議論のステージを移します。

活動(action)

活動」は、以下の2つの点で「労働」「仕事」と峻別される行いです。

<「活動」の特徴>

◯成果物を残さない。
→「労働」も「仕事」も、耐久力の違いはあれ成果物が残る

◯人間同士の直接的な交わりである。
→「労働」:自然物を食べるためのはたらき
→「仕事」:自然物を加工して製作を行う

「活動」を理解するにあたってイメージしていただきたいのは基本的に「言論」です。誰かと誰かがしゃべる(それが全部ではありませんが)。会話が終わったら終わり。後に一切の物理的成果物を残さない。

もちろん、録音する、記録をとるなどのような「仕事」の助けを借りて成果物にすることもできますが、「活動」それ自体は何も残しません。また、「言論」とはいっても、「労働」や「仕事」の過程で必要とされて生じるいわゆる事務連絡の類は、「活動」には含まれません。

さて、例の寓話には、実は「活動」を行う人物が(間接的にではありますが)登場します。それは、教会に集まるクリスチャンたちです。レンガから教会を作る職人の「仕事」が意味を持つのは、教会に信者が集い、神父(牧師)がその説教によって信者たちの人生に光を与えるからではないでしょうか。このように、「仕事」が意味を持つのは、複数の人間が交わってその場限りの物語を生み出す「活動」があるからです。「活動」によってはじめて人間は、労働と消費の無限ループからも手段と目的の無限一問一答からも逃れることができるのです。

まとめ

長くなったので、上記の議論を箇条書きでまとめておきます。

労働」(1番目のレンガ職人に対応)
・一瞬だけ残る成果物を生み出す
・労働と消費の無限ループに陥る虚しさ→「仕事」が解決

仕事」(2番目および3番目のレンガ職人に対応)
・耐久性のある成果物を残す
・手段と目的の無限一問一答に行き詰まる→「活動」が解決

活動」(教会に集まるクリスチャン)
・成果物を残さない
・人間同士の直接的な交わり

誤解のないように付け加えておきますが、アーレントは必ずしも「労働」と「仕事」を悪いものだとみなしたのではありません。ただ、彼女が生きていた時代に「活動」の重要性が忘れられ、「労働」の比率が過剰になっていたことを問題視し、このように「活動」重視の文章を書いたという次第です(このあたりのややこしい話は今回は省略)。

AI時代に有意義な「3人のレンガ職人」の裏教訓

『人間の条件』を扱った以前の記事でも全く同じ締めくくり方をしたのですが、せっかくなので、例の寓話に関連付けてもう一度。AI時代に人間を人間たらしめる特徴について考えてみます。

3人の職人のうち、AIに代替されにくいのは誰でしょうか?

これに関していえば、ほとんど大差はないと思います。「労働」として行おうが「仕事」として行おうが、レンガを積むという単純作業はどんどん機械に代替されていくのです。

職人以外に回答の選択肢を広げると、もっともAIに代替されにくいのは、「活動」を行うクリスチャンたち、すなわち完成した教会で説教をする神父(牧師)とそれを聞きにくる信者たちだと思います。複数の人間が集まって、何を生み出すためでもなく言葉を交わし、感動を共有する。これが、機械にも他の動物にもできない人間固有の能力ではないでしょうか。

以上の議論を踏まえて、「3人のレンガ職人」物語が示すところとして、従来の「目的や目標をもって物事に取り組みましょう」という教訓に加え、「他の人と交わって、その人の感情を動かしましょう。それが人間にしかできないことです」という裏教訓を導き出すことができました。

<留意事項>

1.「仕事」の説明、および「仕事」と活動の関係性について
アーレントは実際には「仕事」を「道具や用具」の製作と「芸術作品」の製作に区別しており、それらの区別により「労働」「活動」との区別も厳密には本記事の説明とは少し違ったものにしなければならないのですが、議論を落ち着けるために簡略化させていただきました。

2.「活動」の説明について
本節で「感動を共有する」あるいは「感情を動かす」という言葉を私は使用しておりますが、アーレントが直接このような表現をした箇所は『人間の条件』本文には見当たらないので、この部分に限ってはアーレントの思想ではなくあくまで管理人の見解ということでご理解いただけるようお願いします。

おわりに

今回紹介しました『人間の条件』は非常に難解な本なのですが、日常生活に応用が効く考え方を提供してくれます。すなわち、「今自分がやっていることは「労働」か「仕事」か「活動」か?」を問うという思考様式です。

たとえば、私は以前学習塾でアルバイトをしていたのですが、生活費を稼ぐという目的で授業をするなら、それは「労働」であると捉えられます。一方で、「志望校に合格してもらう」という(物理的ではありませんが)成果を残す行いとして授業をするのであれば、そのとき私は「仕事」をしているといえます。そして、ときに生徒から大事な相談を受けた時には、成績向上だとか志望校だとかという成果へのこだわりを脇に置いて、ひとりの他者としての彼ないし彼女に真剣に向き合っていました。これは、「活動」であると捉えることができます。

人それぞれだとは思いますが、私の場合は、「活動」:「仕事」:「労働」の比率が2:8:0くらいが楽しいなと感じているので、なるべく「労働」の時間を減らして「仕事」をし、たまに生じる「活動」のチャンスは必ず掴んで目一杯楽しむようにしています。

アーレントは政治哲学者であり、このような個人の人生レベルで『人間の条件』が応用されることを意図していたかはわかりません。しかし、もしこのような私の考え方が彼女が意図したものでなかったとしても、問題ないというのが私の意見です。

哲学を学ぶことにおいて、作者の真意を理解することと同じくらいに大事なのは、哲学が「学習者の人生にプラスをもたらす」ことだと思います。読み継がれている古典には、人生に何かしらのプラスをもたらすヒントがたくさん隠されています。そうしたヒントをたくさん紹介することで、教養の力をもって読者のみなさんの人生を少しでも豊かにする、これが当ブログが意図しているところの一つであり、この目標に向かって、今後も「せっせと」「楽しそうに」記事を書き続けたいと思います!

記事案内

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