「嘘は事実となった」:H・アーレント『全体主義の起源』

現実はしばしば我々の理論についてこないんですよ。

上記は、私の政治学の師匠がゼミ中に発した言葉であり、「一生懸命頭の中で仮説を構築しても、なかなかそれをきれいに支持するデータは出てこない」という意味を表します。

私も研究をするときは同じことに悩まされます。論文の締め切りが近くなってくるとどうしてもデータを捻じ曲げたくなるので、常に葛藤ですね。いつもなんとか踏み止まります(笑)

ところで、理論を証明するために、嘘のデータを持ってくるのではなく、現実を理論に合わせて変化させてしまうということが、実際の政治の世界で行われたことがあります。

今日は、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を通して、ナチス・ドイツや旧ソ連で発生した全体主義運動の特徴をかいつまんで勉強しましょう〜


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『全体主義の起源』とは?

全体主義の起源』(The Origins of Totalitarianism)は、当ブログで過去に3回登場していただいているハンナ・アーレントさんの代表作です。

以前ルソーの悲惨な人生について紹介しましたが(学問により人間は堕落する?:大炎上の『学問芸術論』)、アーレントもなかなかドラマチックな人生を送っています。ドイツ生まれのユダヤ人であった彼女は、ナチ党によるユダヤ人虐殺が始まってから一度政府に逮捕されており、命からがらアメリカに亡命しました。その後、戦争でドイツが破れてナチスが消え去ってから、「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!」(「ジョジョの奇妙な冒険」第3部)という感じで発表し、学会に衝撃を与えたのが『全体主義の起源』です。たぶん。

同書は、第二次世界大戦前のドイツ(およびスターリンが死去するまでのソ連)で全体主義(totalitarianism)がどのように発生し、それがどのような性質を持っているのかを描いた本です。

全3巻からなるのですが、アーレントの師匠の哲学者ヤスパースさんがまえがきで「第3巻からで良い」と述べているので、第3巻「全体主義」をとりあえず読みました(笑)。そこから面白いと思ったところを抜き出して紹介します。

理論に合わせて現実を変える全体主義指導者

嘘のような本当の話。それが同書を読んで私が感じたことです。

アーレントは、全体主義指導者の行動について、「“予言”を行ってそれを何が何でも実現させる」という趣旨の説明をしています。

例えば、ナチス・ドイツの指導者ヒトラーについては、次のようなお話が書いてあります。

(引用部分に孫引きが含まれておりあまり良くありませんが、お許しください)

彼(管理人注:ヒトラー)はこう「予言」したーー「国際的ユダヤ人財閥……諸民族を再び世界戦争に突き落すことに成功したりすれば……その結果は……ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅となる」であろう。非全体主義の言葉に翻訳すれば、ヒットラーははっきりこう言ったのであるーー自分は戦争を始めるつもりであり、ヨーロッパのユダヤ人を根絶するつもりである、と。

出典:ハナ・アーレント著、大久保和郎、大島かおり訳『全体主義の起源』

みすず書房、1974年、pp.76

英語圏には、”Fake it till you make it”(大意:できるまでできるフリをしろ、まず大口を叩いてからそれを実現しろ)という諺があるそうですが、その極端な形で、自分の予言を自分で実現してしまうというとんでもない行動を取っていたのですね。「ユダヤ人種の絶滅」ではなくて「環境問題の永久的解決」とかを予言してほしかったなぁ。

次に、ソ連のボルシェヴィキー政府の例を見てみましょう。こちらも読んだ時には「まじかよ」ってなりました。

例えばロシアのボルシェヴィキー政府が、社会主義国に失業はあってはならないというイデオロギー的要求を貫徹するために取った方法は、明白な失業の事実をプロパガンダで欺いて失業者はいないと言いくるめるのではなく、プロパガンダなど全然使わずに失業給付を一切廃止してしまうという方法だった。嘘は事実となったのである。ロシアにはもはや失業者はいなくなり、いるのは乞食と非社会的分子だけになった。そして「働かざるもの食うべからず」という古くからの社会主義の原則は、確かに予想もされなかった形ではあったが、その代りそれだけ徹底的なやり方で実現されたのである。

出典:同上、pp.64(太字は管理人)

解決策がもはやギャグにしか思えません(全然笑えませんが)。

私は去年ゼミで、世界各地のいろいろな独裁政権について調べていたのですが、こうした政権は大抵、失業や貧困などの国内問題については、問題などない”フリをする”、あるいは政府が解決のために一生懸命頑張っている”フリをする”ことで権威を保っているイメージがあります。全体主義指導者はこうした権威主義政権とは違って、嘘を現実に変えてしまうという手法によって自分の正しさを維持するのですね。全体主義って、独裁のグレードアップ版みたいになんとなく思っていましたが、同書を読んで両者の質的差異について詳しく知ることができました。

身近に潜む全体主義の危険

ヒトラーもスターリンもいなくなって、全体主義など遠い昔の話になってしまったかのようですが、だからと言って学者以外の人が全体主義の性質について勉強しても全く無意味かというとそうではありません。

アーレントは、ごく普通の大衆向け宣伝文句にも全体主義の萌芽が現れうることを指摘します。

どの新聞を開いてもすぐ分る通り、商品宣伝もやはりややこしい実験室での検査だの化学式だのを添えて「世界最高の石鹸」を売りつける。また、この商売方法にはすでにある程度、可能性としての暴力の要素が潜んでいるということも正しい。例えば、この石鹸だけが吹き出物に防ぎ男を射止める幸運を授けるというような主張の背後には、自分の作る石鹸を買わない娘のすべてから結婚の相手を奪う権力をいつかは実際に持ちたいものだという、その石鹸業者のひそかな夢が当然に隠されている。

出典:同上、pp.69~70(太字は管理人)

あまりにも商売人に失礼すぎるとは思いますが笑、いずれにせよ、かつて惨劇を起こした全体主義運動が全くの過去の遺物ではないことがわかりますね。

あくまでも、アーレントの主要な関心は、彼女が生きた時代にドイツとソ連の政治を動かしていた全体主義運動にあります。企業による大衆扇動は例として出てきただけであり同書の議論の中心ではありません。ただ、全体主義イデオロギーに基づく政治体制が消え去った現代に生きる私たちとしては、このように「身近に潜む全体主義の危険」という視点から同書を読んでみると面白いかもしれません。


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