ルソーの無茶振り:「一般意志に基づく直接民主制」 とは?

こんにちは!今回も有名な古典を紹介していきます。今までは倫理の教科書に載っている著作に偏っていましたが、今日は政治経済の教科書に載っているものから紹介したいと思います!

今回扱うのは、フランスの思想家ルソー(1712-1778)です。主著の『社会契約論』は、絶対王政期のフランスで激しい弾圧を受けながらも出版され、民主主義理論を打ち出してフランス革命に大きな影響を与えました。今回は、ルソーが持ち込んだ民主主義理論の中で見落とされがちなポイントに焦点を当てていきます。

※2018年3月4日に公開した記事ですが、同年3月28日に一部修正しました。

教科書におけるルソーの思想の説明

まずは、政治経済の教科書におけるルソーの記述を紹介します。

彼は、「社会は自然権をもつ各個人の自由な意思に基づく相互契約によって成立する。この社会では、各個人の無制限な自由はなくなるが、政治に参加する自由は保障される。政治の担い手は全体としての人民であり、人民に主権がある。主権は分割も譲渡できない。」と説いた。そして、彼は当時のイギリスの議会政治を批判し、全人民が参加する集会や投票によって形成される一般意志に基づく直接民主制を主張した。

出典:三浦軍三ほか『高等学校 改訂版 政治・経済』第一学習社、pp.11

(太字は教科書による)

そして、この「一般意志」(仏:Volonté générale、英:General will)という文言は、脚注で以下のように説明されています。

一般意志 社会共通の幸福を求める人民の意思。自己の幸福のみを願う特殊意思とは異なる。

出典:同上、pp.11

毎回、記事を書くたびに、古典や入門書を読んでから教科書の該当箇所を読むのですが、その度に「よくここまで簡潔にまとめられるな」と感心させられます。とくに今回のルソーの思想の説明は、本当に短くうまくまとまっていると思いました。教科書を編纂されている先生方ってすごいんですね。

というわけで、ルソーは一般意志に基づく直接民主制(direct democracy)を主張したのですが、これには、注意しないと見落としがちなポイントがあります。

例えば、次のような事例はルソーの主張する理想的な直接民主制と言えるでしょうか?

例:マナブ君一家では、日曜日の夜、家族でテレビを見ていました。しかし、みんなの意見が合わずに、チャンネル争いが起こります。みたいチャンネルは以下の通りです。

父:ニュース
母:ドラマ
姉:ドラマ
マナブ君:アニメ
妹:ドラマ

結局、民主的に多数決で決めることになり、3票を獲得したドラマが選択されて、家族5人でドラマを見ることになりました。めでたしめでたし…

これが、ルソーの提唱する民主主義であるといえるか。理由も含めて、少し考えてみてください。ヒントは、上の教科書の引用部分です。

(考え中)

まあ、こういう聞き方をするからには「いえない」が正解です(笑)

なぜか?

ルソーが提唱するのは「一般市民に基づく直接民主制」であり、その一般意志とは、上記の通り「社会共通の幸福を求める人民の意思」であり、「自己の幸福のみを願う特殊意思とは異なる」のです。

上記のケースでは、「ドラマを見たい」という母・姉・妹の特殊意思に基づいた決定がされています。そのような特殊意思は、たとえそれがいくら多くの構成員の間で一致していたとしても、一般意志ではありません。したがって、上記のような決定方法はルソーのいう民主政ではないのです。

では、一体彼の意味する民主制とはどのようなものなのか。著作の『社会契約論』をもとに明らかにしていきましょう。

『社会契約論』を読んでみる

・・・大多数の人の意見は、つねに他のすべての人々を拘束する・・・しかし、ある人が自由でありながら、自分以外の意思に従わねばならぬということが、どうして起こりうるのか、を問う人がある。

出典:ルソー著、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』岩波文庫、pp.149

このような問いは、マナブ君の気持ちをとてもよく代弁しています。少数派だからといって、マナブ君の「アニメを見る自由」は、侵害されなければならないのでしょうか?

それは問題の出し方が悪いのだ、と私は答える。市民はすべての法律、彼が反対したにもかかわらず通過した法律にさえ・・・同意しているのだ・・・ある法が人民の議会に提出されるとき、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意志、すなわち一般意志に一致しているかいないか、ということである。

出典:同上、pp.149

おわかりいただけましたでしょうか?何度も繰り返しますが、一般意志とは、「社会共通の幸福を求める人民の意思」でした。したがって、上記のケース家族に問われているのは、「どの番組を見るのが家族共通の幸福をもたらすか」ということなのです。

よって、上記のケースがルソーの提唱する直接民主制に一致するために必要なのは、5人それぞれが「どの番組を見るのが家族の一般意志に一致するか」、すなわち「どの番組を見るのが家族共通の幸福をもたらすか」ということを考えて、議論を行い、ふさわしい番組に決定を下すことです。

ですから、マナブ君がアニメを見る方法は一つです。それは、「アニメを見ることが家族の一般意志に一致していること」すなわち、「アニメを見ることが家族共通の幸福をもたらすこと」ということみんなに伝えて、アニメに票を投ずるように彼らを説得することなのです。もっとも、アニメを見ることが一般意志に一致していないとマナブ君が判断した場合には、彼自身アニメに投票することをやめなければなりません(笑)

いかにして実現可能なのか

上記のようなルソーの提唱する直接民主制は、なるほど機能すればその社会に幸福をもたらすはずです。ですが、少なくとも現代日本に生きている私が見る限りはあまりにも非現実的であることは否めません。どうしてもみんな自分の個別的利益が大事でしょう。上のたとえ話のような家族ならまだしも、国家レベルの問題となると、あまりにも遠すぎて、自分の利害を優先してしまうのが実情ではないでしょうか。それに、現代の、それも日本のようなある程度人口もある国家においては、何が一般意志に合うのかがわからないのが実情だと思います。実際私は選挙の時はちゃんと公約を見てから投票するようにはしていますが、あまりにも複雑すぎて自分の投票が正しかったかどうかはいつも自信がありません。

では、どうすれば一国において一般意志に基づいた政治は実現するのか。抽象論にはなってしまいますが、私は、2つのことが必要だと思います。すなわち、(1)みんなが政治について考える余裕ができること(2)国政の問題が結局は自分の利益に重要であることを一人一人が実感することです。2つのうちどちらが先とは言いません。時間ができれば国政のことを考えるようになって、自分の利益との相関を理解するかもしれませんし、あるいは、国政について考えることの意義を実感することによって、無理やり時間を作ってでも政治に参加するようになるかもしれません。そうして、さすがに1億人が国会に集まって議論する直接民主制が実現はしなくても、一般意志を反映した議会制民主主義は実現できるのではないかと思います。

せっかくAIがどんどん仕事をするようになっているので、私の希望としては、人間がする労働が少なくなって、一人ひとりに国政のことを考える余裕ができたらいいなと思っています(希望的観測)。古代ギリシャでは、奴隷に全部仕事をさせていて、自由民はヒマだったので、集会を開いて政治について討論することができたそうです。近い将来、奴隷の代わりにAIに雑務を任せて、人間はもっと長期的な視野に立って国政について一人ひとりが考え、相互に意見を交わし合って(これこそ正に、以前「人「間」としての「活動」:21世紀だからこそアーレントの『人間の条件』」で紹介しました「活動」にあたるのでしょう!)いくことができれば、単に積極的な政治参加が実現される(例:投票率が上がる)だけでなく、一般意志に基づいたより健全な政治が形成できるのではないでしょうか。

おわりに

実のところ、大学で習う政治学についていえば、高校の世界史や政治経済で習った以上の単語を新しく学習することはあまりありません。しかし、今回の記事のように、「一般意志とはなにか」といった形でその理念や概念を追いかけていけばとことん詰めるところはあります。このように、知っているつもりだった言葉について深く学んだりあるいは考えていく作業はとても刺激的です。

今回題材とした『社会契約論』はこちらです↓。『エミール』、『人間不平等起源論』など、ルソーの本は適当に開いたページから読んでも理解できる平易な作品が多いですが、同書もその例にもれず広く多くの方にお勧めできる良い本です。気になった方はどうぞ!


最後までお読みいただきありがとうございました!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、よろしければ下の「フォローする」アイコンからフォローよろしくお願いします〜♪

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク