差別にも「表現の自由」を認めるべきだと思う【逆に表現で追い詰めよう】

この記事で考えること↓ 

差別と表現の自由は両立するのかな?差別的なことを思う自由はあると思うけど、それを口に出すことは許されるの?

こんにちは!

「凡さんす」(@academicocktail)と申します。

性差別についてよく考えてる大学4年生です。

この記事では、「表現の自由」と「差別」を天秤にかけて考えていきます。

性別や人種、国籍などで人を「差別してはいけない」というのが現在の世の中で優勢な規範かと思います。

一方で、「差別の禁止」と同じく(少なくとも日本で)受け入れられている規範に、「表現の自由」がありますね。

…では、「差別的な表現に、自由は認められないのか?」

この記事ではこの問題について考えていきます。

2分ほどで読み終わる記事ですので、どうかお付き合いください。

「性暴力は被害者の女も悪い」発言に、表現の自由は認められる??

先日、京大の院生で、お笑いなどとしても活動してらっしゃるt.obonaiさんのこんなツイートを見かけました。

短いスカート掃いて「痴漢するな」

胸元の開いた服を着て「胸を見るな」

男を家に連れ込んで「その気ない」

男の家に上り込んで「その気ない」

大半の男は欲求を理性でセーブできる真摯なはずだけど、世の中にはそうではない欲望に忠実なゲスい輩が一定数いるし、酒が履いていると理性が飛んだりする人もいます。

こんなこと言うと批判を受けるでしょうが、そう言う男から身を守るように女性側も「はしたない」行動を慎み、自己防衛に努めるべきではないでしょうか。

犯罪行為は別にして、なんでもかんでもやった側の男が悪いという風潮は納得できません。

「女にスキがあれば、性犯罪の被害を受けたことについて女も悪い」という意見ですね。

この意見に対して、t.obonai(@twobonai)さんが「ヤバい」と感想を述べています(私も「ヤバい」と思います)。

さて、問題は次です。

それに対する、同じく京都大学の学部生であり、フェミニストとして活動してらっしゃる、ななみん(@nikonikonanami1)さんのコメントがこちら↓

これに対して、私は次のようにコメントしました。

以下では、このツイートを掘り下げつつ、「差別と表現の自由」のバランスについて考えて行きたいと思います。

差別を表現する自由はあると思う

上記のツイートの通りですが、差別を表現する自由はあると思います。

その理由は次の2つです。

何が差別で何が差別でないかは、人それぞれ

たとえば、現行の日本国憲法では、「両性の本質的平等」が定められています。

ですので、基本的に性差別はダメだということになります。

ですが、何が性差別になるのかが1億2000万人で完全に一致しているということは、ほぼあり得ないでしょう。

もちろん、概ねだれが見ても差別であろうという事柄もあります。

たとえば、2018年に発覚した医学部の点数操作などは、明らかに差別であるように思えます。

でも、一概に万人が納得しないものもたくさんあるはずです。

レースクイーンは女性差別ですか?

女性専用車両を設けるのは男性差別ですか?

もしかして、「男に二言なし」という格言もどちらかの差別ですか?

100人いたら100人の意見が一致するわけではなさそうな事柄はたくさんあります。

ですから、「こっからここまでは差別である」と統一の基準を設けて、言論統制をすることは、無理なんですよね。

規制しすぎるよりは、規制が足りない方が方がマシ

ということで、誰もが認める”あるべき言論統制”みたいなのは、無理だということがわかりました。

ということで、私たちにできることは、

①「過剰に規制する」

②「ある程度差別的な表現も認めてしまう」

のどちらかしかありません。

ここで、「①過剰に規制する」道は、取らない方がいいでしょう。

過剰な規制を許すことは、権力の暴走につながりかねないからです。

言論統制を行うとすると、最終的には国家だったりプラットフォームの運営会社だったりといった「権力者」に「何を規制するか」の判断が委ねられます。

とすると、規制が急進化していくことによって、ナチスやポル・ポトのような悪質な独裁(誰かを傷つけてしまうような形の独裁)が実現してしまうかもしれないのです。

①「過剰に規制する」をとるには、管理者がよほど善人である(そして今後もあり続ける)ことに期待しなければなりません。

そうなると、残った道は、②「ある程度差別的な表現も認めてしまう」なのではないかというのが、私の考えです。

平等主義者としてできることは、主張し続けること

では、差別も自由だから、平等主義者は泣き寝入りするしかないのかと言うと、それはダメです。

そんなことをすると、差別主義者の数が増えて声がどんどん大きくなっていきます。

差別的な発言があちこちで飛び交ってしまうと、今まで黙っていた静かな差別主義者まで発言がしやすくなって、差別がアタリマエのことになってしまうんですよね。

ですので、平等主義者としてできることは、平等の価値観を差別の価値観よりも多く発信することです。

「浮動票」を味方につける

平等主義者として進めていくべきことは、「浮動票」を味方につけることだと思います。

「浮動票」という言葉を、ここでは「自分の立場が固まっていない人」の意味で使っています。

ジェンダーの問題で言えば、性差別について普段あんまり考えたこともない、自分がフェミニストなのかセクシストなのか意識していないような人々のことですね。

こういう人たちの割合って、実はめちゃくちゃ大きい気がします(とくに日本では、なのかな?)

十分な人数が平等主義者になれば、差別主義はフェードアウトする

「浮動票」に対して「差別はダメ」という価値観を植え付けていくことによって、ほんとうに「差別はダメ」な社会にしてしまう。

これが、差別をなくすための現実的な方法ではないでしょうか。

周囲が敵ばかりになれば、過激な差別主義者も発言しにくくなるでしょう。

国民が100人いて、そのうち20人が差別主義者だったら、まだ差別的な発言もしやすい。

でも、99人が平等主義者で、1人しか差別主義者がいなかったら、その1人は発言しにくいはずです。

味方が誰一人いなくても考えを曲げないような、パーフェクトな差別主義の考え方を変えさせるのは難しいかもしれません。

ですが、それが無理だとしても、まだ柔軟なほう、流されやすい方に平等を訴えることで、差別主義という価値観の居場所を無くしていけばいいのです。

差別主義者を差別しないこと

最後に私の意見として言っておきたいことですが、差別主義者を差別するのは絶対にダメです。

「女性蔑視をする奴は死んでもいい」みたいなことを言ってしまったら、フェミニストが正義に見えづらくなり、「浮動票」の反感を買ってしまいます。

もちろん、そういった過激な発言をする自由もあるのですが、戦略的にあまり有効だとは言えません。

大衆を動かすには、こっちが正義であるということをアピールしていきましょうヽ(´▽`)/


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