対話は「自分の意見をもつこと」から始まる:御田寺×ハヤカワ対談感想

こんにちは!

「凡さんす」(@academicocktail)と申します。

ジェンダーや哲学について日々勉強・発信しています。

今回は、本日(2019年8月20日)現代ビジネスに掲載された以下の記事についての感想を書きたいと思います。

御田寺圭×ハヤカワ五味 特別対談「怒りが最高のエンタメ」と化した令和のネットで、破滅を避ける方法

3分ほどで読み終わる記事ですので、どうかお付き合いください。

対談の概要:「感情」に突き動かされるネット世論に対する危機感

上記の記事は、経営者でフェミニストのハヤカワ五味氏と、アンチフェミニスト(とされることの多い)ネット論客の御田寺圭氏の対談です。

記事の中では、昨今のSNSにおける、毎日のように誰かが糾弾され、炎上し、対立と怒りで満ちあふれた惨状についてのお二人の分析が書かれています。

以下は、記事の前書きより。

令和に入り、早くも凄惨な事件や、社会の分断を加速するような論争が立て続けに起こっている。SNSを開けば、目に入ってくるのは怒りと憎しみの応酬ばかり……そうした状況に、嫌気がさしている人も多いのではないだろうか。

インターネット上で活発な情報発信を行う、文筆家の御田寺圭さんと経営者のハヤカワ五味さんは、思想的立場こそ異なるが、そうした「感情」に突き動かされるネット世論の現状に対して共通の危機感を抱いている。SNS時代の論客が、すべてのネットユーザーに提案したいこととは――。

出典:御田寺圭×ハヤカワ五味 特別対談「怒りが最高のエンタメ」と化した令和のネットで、破滅を避ける方法

分断のインターネット社会で実現した”敵同士”の対話

内容について詳しくはぜひ記事を読んでいただきたく、ここでは、少し斜に構えた視点からこの記事の感想を書きたいと思います。

この記事がまず有意義なのは、「思想的に対立している二人が時間をかけて対談する機会を持った」ことです。

お二人がおっしゃるように、昨今TwitterなどのSNSでは社会の分断が激しくなりつつあります。

フェミニストvsアンチフェミニスト、

ヴィーガンvsアンチヴィーガン、

左翼vs右翼、

N国支持者vs批判者…

今のインターネットではこのような無数の思想的対立があり、相互理解は永久に不可能なのではないかと思えるほどに、激しい戦いが日々繰り広げられています。

また、同じ派閥の中にいれば仲良しというわけでもありません。最近では、フェミニストの中でトランス女性を排斥する派閥(TERF)とそれに反対するグループの間で対立が激化しています。

人々が怒りによってお互いを断罪しあい、社会が様々な軸で分断される現代インターネット。

そんな中で、フェミニストであるハヤカワ氏と、その敵として分類されている御田寺氏、つまり”敵同士”が対談し、共通の問題意識について議論できたのは、それだけでも意義深いことでしょう。

建設的な対話の前提条件は、「自分の意見を持つこと」

対立する陣営の2人が、お互いの意見に耳を傾けながらディスカッションすることができた。

この事実だけを持ってしても、対談の意義を評価することはできるでしょう。

しかし、私がこの記事で強調したいのは、別の点です。

すなわち、二人の建設的な対話が成立したのは、そもそもそれぞれが自分の思想をしっかり持っているからだ、という点に着目してみましょう。

建設的な対話:ここでは、問題解決や共通認識の形成に繋がる対話、くらいの意味で使っています。

ハヤカワ氏と御田寺氏は、お互い異なる独自の思想を確立させており、この点こそが、建設的な対話を実現させる前提条件だったと私は考えています。

今回の対談でお二人は「感情に突き動かされるネット世論」という共通の問題意識を持っており、同意見を持つ部分も多かったようです。

ですが、異なる思想を持つ二人の対談が「同意」や「共感」に終始することはもちろんなく、お二人ともご自身のホームポジションを表す発言が随所に見受けられます。

まず、アンチフェミニストに分類されている御田寺氏は、現状のTwitter上のフェミニズムが抱える危険性について、以下のように指摘しています。

議論をする際の作法として、よく「意見と人格は分けて考えろ」と言われますが、その人の主張が当事者性に依拠する場合、これがとても難しくなります。なぜなら、あくまで主張に対する批判であったとしても、主張が人格や経験に基づくものであれば、人格や経験そのものの否定・批判に接続されてしまうため、それ自体が攻撃や加害に見えてしまうからです。

少なくともSNSにおけるフェミニズムの雰囲気には「傷つきたくない文化圏」を感じます。向けられた批判が自分たちの怒りや苦しみを否定したり無化したりするものだと思ってしまうから、批判に対して「また私たちを傷つけるつもりか! 許さない!」という反応になってしまう。もちろんこれはフェミニズムに限ったことではないでしょうけれど。

それに対して、フェミニストとしての立場から議論に参加しているハヤカワ氏は、同じ問題意識を共有しつつも、「感情」が社会問題において果たす重要な役割について、次のように論じています。

感情が先走って論理的思考やファクトチェックがおろそかになる例は、オピニオンリーダーになっているような著名な方でさえよく見ます。

ただしそれには理由があると思います。というのも、社会運動などではまずは感情を表面に出し声を上げて、世の中に問題を認知してもらう段階があって、その次に解決法を考えたり仕組み化する段階があるからです。御田寺さんが言うような「共感と論理を両立させる」意識が必要なのは、どちらかというと後者の、仕組み化する時とかソリューションを考える時なんじゃないかと思うんです。

当事者たちの問題がいまどのフェーズにあるかの認識がすれ違っていて、例えば御田寺さんがフェミニストの「ネガティブな共感」に対して「女性の地位に関しては、もう十分に社会問題化してるじゃん」と感じていても、感情的に声を上げている側の人は、まだ不十分だと考えている可能性もあるんじゃないでしょうか。

……いまの世の中でさえ、声を上げられない人は本当に多いですから。だから、まずは私にもひとこと言わせてほしい、その後でロジックに行ってくれ、という気持ちを持っている人も多いかもしれないということは、想像しておきたいところです。

ハヤカワ氏のこのような主張を、御田寺氏は、

声を上げづらい人も発信できる、実社会ではかき消されるくらいの小さな声を拾えるというのは、政治的な文脈を抜きにして、とても大事なことだと思います

と受け止めた上で、

それを加害者/被害者の分断や闘争に結びつけず、どうしたら建設的なほうに導けるのか

意見が対立する相手を反射的に「敵」とか「悪」と考えてしまうことをやめるための筋道はあるのでしょうか

と論点を設定しました。これによって議論はさらに進められていきます。

このように建設的に対話が進んでいった原因としては、

議論の参加者(ハヤカワ氏と御田寺氏)が、自分の意見と異なる意見に耳を傾ける姿勢を持っていた

というのはもちろんあるのですが、その前にそもそも「自分の意見」というものをしっかり持っていたからこそ、互いに意見をぶつけながら対談を進めることができているのです。

「どっちもどっち」は何も生まない

今回の対談記事のように建設的な対話を行い、問題解決を進めて行くためには

・まず自分の意見をしっかり持つこと。

・その上で、異なる意見にも耳を傾けてみること。

・聞いた意見を吟味した上で、自分のポジションを再度確定させること。

の3つが重要だと思います。

社会で生じている論争の多くは、両方の立場に理があります。

ここで、「どっちもどっちだよね」といってポジションを取らない姿勢は、バランスを保っているように見えるものの、対話の深堀や課題解決には全然結びつかないという問題点があります。

たとえば、

「中絶を容認すべきか禁止すべきか」

という問いについて考えるのであれば、容認と禁止の両方の思想をある程度勉強した上で、「自分はこう思う」という意見をとりあえずは確定させることが大事です。

その上で、反対の意見を持つ人と議論してみて、自分の意見を修正したり、あるいは根本的に立場を変えてみる。

「私はこう思う」をしっかり持ち、それを主張するからこそ、議論の相手にも学びを与えることができますし、より深い対話、具体的な問題解決に繋がるディベートにつなげることができるでしょう。

「怒り」が蔓延するインターネット戦場、自分の意見を表明することは、誰かから攻撃されるリスクを引き受けることを意味し、決して楽ではありません。

しかし、「どっちの言っていることもわかるよね」と中立を気取るだけでは、物事を前に進めることはできないのも事実です。

問いに対して、自分の立場ははっきり決める。その上で、自分と異なる立場の意見にも耳を傾ける、このような姿勢が大事ではないでしょうか。


最後までお読みいただきありがとうございました!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、この記事が「役に立った」「面白かった」と思う方は、フォローお願いします!→ @academicocktail


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