英雄から独裁者へ:ムガベにとっての「平和」とは?

今日は昨年大統領を辞任した(させられた)ジンバブエのロバート・ムガベ氏についてまとめてみました。とくにトレンドではありませんが。

(以下、英文の訳は管理人によります)

ムガベとは?

ロバート・ムガベ(1924~)は、37年もの間ジンバブエにてトップの座(1980~1988年首相、1988~2017年大統領)にあった人物です。何人もの反対派を武力によって弾圧する強権的な統治を行い、度々起こる抗議デモにも負けずにずっと政権に居座り続けました。

そんなムガベが昨年とうとう辞任に追い込まれます。きっかけは後継者問題でした。

同国の政治的危機は、今月6日のムナンガグワ氏(管理人注釈:当時の第一副大統領)の解任が引き金となった。ムガベ氏が夫人のグレース・ムガベ氏を後継者にしようとする動きだとみた国軍が反発。兵士らが蜂起し、ムガベ氏を自宅軟禁下に置いた。

出典:ジンバブエのムガベ大統領が辞任 37年の政権に幕 – BBCニュース

なすすべのなくなったムガベは、自主的に辞任し、世界最高齢国家指導者(辞任時93歳)の権威主義統治に幕が下されました。

元は独立の英雄

今でこそ独裁者として悪名高いムガベですが、もともとはジンバブエ独立の英雄です。今ジンバブエと呼ばれている地域は、もともとザンビアとともにイギリス領ローデシアとして白人により支配されていました。1970年代に原住民が武装蜂起して独立を求めますが、そのリーダーの1人がムガベです。

反政府軍のリーダーとして独立戦争に関わりだして以降の彼の人生を年表にまとめてみます。

<ムガベ年表:独立運動参加から首相になるまで>

1960年 北ローデシア(現ザンビア)で教員職をしていたが、南ローデシア(現ジンバブエ)に一時帰国。イギリス統治に反発する原住民のナショナリズム運動に参加。

1963年 政府軍に逮捕される(11年間の刑務所生活スタート)。

1975年 釈放されたのち一度モザンビークへ出て武装集団を結成、ローデシア政権への武力闘争を開始する。

1979年 停戦協定。ジンバブエの独立。

1980年 選挙により、初代首相に就任。

出典:
Robert Mugabe’s Long Reign in Zimbabwe: A Timeline – The New York Times

より管理人作成

実はムガベは勾留中に一人息子を亡くしています。彼は葬式に出席させてもらいたいと願いましたが、政府はこれを拒絶しました。このことが彼の政府への怒りを強めたとも言われています(出典:同上)。

英雄ムガベにとっての「平和」

ジンバブエ独立直後首相になったムガベの言動は、後年の人権侵害からは考えられないほど、聖人君子のそれでした。以下、就任演説からの引用です。

“An evil remains an evil whether practiced by white against black or by black against white. Our majority rule could easily turn into inhuman rule if we oppressed, persecuted or harassed those who do not look or think like the majority of us……Our independence must thus not be construed as an instrument vesting individuals or groups with the right to harass and intimidate others into acting against their will. It is not the right to negate the freedom of others to think and act, as they desire.

出典:
President Mugabe’s 1980 independence speech | The Zimbabwe Daily

:白人から黒人に行使されようと、黒人から白人に行使されようと、悪は悪である。多数決に基づく統治は、見た目や考え方において少数派である人々が弾圧、迫害、または攻撃されるようなことがあれば、いとも簡単に非人道的な支配へとその様相を転ずる……それゆえ、われわれの独立は個人や集団に、思い通りにならない他者を攻撃する道具を付与するものと理解されてはならない。他者の思想や行動の自由を剥奪する権利は認められない。
まるで、民主主義者による演説のテンプレートです。ワシントンやリンカーンでも言いそうな言葉だらけだとは思いませんか?
上記の演説はさらに以下のように続きます。

……We have abundant mineral, agricultural and human resources to exploit and develop for which we need perfect peace. Given such peace, our endeavours to transform our society and raise our standard of living are bound to succeed……Now that we have peace, we must go fully out to exploit them. We already have a sophisticated infrastructure. Our expertise is bound to increase as more and more educational and technical institutions are established to transform our skilled manpower.
……Let us rejoice over our independence and recognize in it the need to dedicate ourselves to national unity, peace and progress.

出典:同上(太字は筆者)

訳:……我々には、完璧な平和を開発し発展させていくに必要なだけの、豊富な水資源、農業資源、人的資源がある。平和についてのそのような考察に基づけば、社会を改革し、生活水準を向上させるための我々の努力は、成功に向かっているといえよう……今や、我々には平和がある。我々はそれをより開発していかなければならない。我々にはすでに精巧なインフラがある。我々の専門知識はますます育成されていくであろうし、優れた人的資源を作り上げるための科学技術機関もそろっている。
……ここに独立を喜ぼうではないか。そして我々が、国家の団結、平和、発展に自らを捧げなければならないことを、ここに自覚しようではないか。
内戦が終わり、「平和」が実現したことに対する歓喜、安堵。そしてその「平和」をもっと今から推し進めようとする決意のようなものが、伺えます。
そして、現に最初の数年間、ムガベ政権は優れた業績を上げました。ムガベは教育・医療に注力して乳児死亡率の低下アフリカ最高の識字率を実現し、「ジンバブエの奇跡」と称される繁栄を実現しています。
しかし…

独裁者ムガベにとっての「平和」

教育や福祉面での業績をあげる一方、ムガベは独立から数年後にはすでに反対派の粛清を始めています。上記の演説から3年後の1983年、野党であるZAPUの勢力拡大を警戒した彼は、密かに北朝鮮に送り込んで訓練させていた特殊部隊「グクラフンディ」(Gukurahundi)を用いて、反対派の虐殺を行いました。

ムガベは、首相就任時に唱えていた「平和」構想を忘れてしまっていたのでしょうか。ZAPU粛清から約3ヶ月後、1983年4月時点での彼の就任演説を引用します。

Our first requirement must remain the peace of our nation. Our nation cannot afford the luxury of banditry and dissident activities. I am in no doubt that, if we all remain committed to peace and are united in our efforts to eliminate the scourge of dissidents and bandits in those parts of Matabeleland where they are, we shall soon succeed in creating the necessary peace in those areas .
Because of that commitment, government is continuing its vigorous campaign of hunting and annihilating dissidents on the other hand, and politicisizing (管理人注:politicizingか?) and educating the masses on the other.

出典:Speech by Comrade Robert Mugabe Prime Minister of Zimbabw 3rd Anniversary of Independence April 18, 1983 – Freedom Archives

(太字・下線は管理人による)
(下線部は資料上で文字が欠けていて読めないがおそらく”those”)

:我々が第一にしなければならないのは、国家の平和を維持することである。我が国はならずものによる贅沢と謀反行為を受け入れることはできない。私は次のことを確信している。すなわち、もし我々が平和を約束し、マタベレランド(注:野党勢力の強かった土地)で謀反者が引き起こしている厄介を取り除く努力のために結束すれば、我々はいまにそれらの土地になくてはならない平和を実現するであろう。

この約束のために、政府は謀反者を探し出して全滅させるため精力的に活動を続ける一方で、反対派の大衆の政治化・教育を継続する。

「平和」を実現するという「約束」のために、「謀反者を探し出して全滅させる

このように、ムガベは「平和」の追求を彼の演説から落としてしまうことはありませんでした。むしろ、「平和」という言葉は、反対派粛清の動機としてスピーチの中で強い存在感を放っています。

ムガベの真意は?

両方の演説で用いられた「平和」という言葉が、最初から、権力維持のための単なる建前にすぎなかったのか、それとも、反対派を弾圧したのも彼の描く国家の「平和」を実現するための、いわば”必要悪”だったのか。

彼の内面に迫るにはもう少し事実を集める必要がありますが、就任当時の「他者を攻撃してはならない」趣旨の発言は少なからず本心から来ていたのではないかというのが私の感触です。ただ、11年の獄中生活から4年の独立戦争に至る闘争の経験が、そのような苦しい過程を経て得た地位を頑なに守る強い願望を育てた可能性は高いと考えられます。ジンバブエの「平和」的繁栄への希望と、絶対的な権力者としての地位への野望が、彼の中でパラレルに存在していたのではないでしょうか。

参考資料

(いずれも2018年3月25日最終閲覧)

ジンバブエのムガベ大統領が辞任 37年の政権に幕 – BBCニュース

President Mugabe’s 1980 independence speech | The Zimbabwe Daily

Robert Mugabe’s Long Reign in Zimbabwe: A Timeline – The New York Times

Speech by Comrade Robert Mugabe Prime Minister of Zimbabw 3rd Anniversary of Independence April 18, 1983 – Freedom Archives

“The 1987 Zimbabwe National Unity Accord and its Aftermath”

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