「カントの哲学を1分で簡単に解説して!」←無意味です。

今日は、こういった姿勢で哲学を勉強することが無意味であるということをお伝えします。

一般に、哲学書は回りくどく難解に書かれていることが多く、初学者がまともに読もうとすると1ミリも理解できません。そのため、「ポイントだけわかりやすく理解したい」と考えてしまうのも、自然なことといえば自然なことです。

私bitwin’も例外ではありません。私は大学で政治学を学んでおり、哲学は趣味半分で勉強しています。哲学を勉強し始めた時には、普段自分がやっている学問と比較したとっつきにくさに驚きました。日頃の政治学のゼミでは、「自分の研究の概要を1文で説明できるように」と教えられているため、哲学者がなかなか要領を得ない書き方をするのが腹立ったのが正直なところです(笑)

ですが、最近わかってきたことがあります。それは、哲学の勉強で、大事なポイントだけ吸収しようとするのはあまりにも無意味だということです。むしろ、哲学で学ぶべきは、結論に至るまでの思考プロセスの部分にあります。

今日は、そのことについて簡単にお伝えしたいと思います。


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例:カント倫理学を1分で解説してみる

カントの実践哲学(倫理学)を例に説明しましょう。彼の実践哲学でポイントとしてよく語られるのは、こちらの一文です。

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

これは、雑に口語訳すると「全人類に強制してもいいくらいのしっかりとした自分ルールを持とうね」という意味です。

みなさんそれぞれ何かしら自分ルールを守っていると思います。

「朝は絶対6時に起きる」とか。「遅刻は絶対しない」とか。こうした自分ルールは人生の中で変わっていくものだと思いますが、これを、「普遍的立法の原理」つまり、「全人類に適用される法律の根拠」になるように更新していけということです。

「朝は絶対6時に起きる」だと夜型の人がいるのでダメですね。「遅刻は絶対しない」は、もうすこし普遍的に適用可能かもしれません。

自分だけでなく他の誰にでもその正しさを納得してもらえるような理想の自分ルールを作り、その通りに行動できるように、努力を続けよ。これがカントの教えです。

1分で解説された哲学は全然面白くない

ここまで聞いて、いかがでしょう?

「カントって立派なこと言った人なんですね。へぇ〜」

で終わる話じゃないですか?(笑)

だいいち、(カント自身も認めていますが)自分ルールが普遍的立法の原理になるってほぼ無理ですし、この命令自体単なる綺麗事に過ぎません。

でも、1分で解説しようとするとここまでしか解説できないんですよね。聞き手や読者にとってわかりづらい言葉は一切使わず、聞き手・読者がすぐに飲み込めるような内容だけを述べなければならない。「すぐに飲み込めるような内容」すなわち「当たり前の内容」に限られてしまいます。

したがって、「ポイントだけ1分で教えて!」という姿勢で哲学を学ぶことには、何の意味もありません。人生の貴重な1分が無駄になります

では、意味のある哲学の学び方とは、どのようなものでしょうか?

思考プロセスを学ぶ

哲学を学ぶことの醍醐味は、思考プロセスを追うことにあります。

引き続き、カント倫理学を例に説明しましょう。

なぜ、カントは「汝の…」を説くに至ったのか。

そもそものカント倫理学のモチベーションは、「理性を持つ人間であれば誰もが従わないといけない義務はあるか」という疑問にあります。

話をわかりやすくするためにちょっとジャンプしますが、このモチベーションは「人間に自由意志はあり得るか?」という問題に強く関連しています。

もう少し詳しく書くと、「自然法則、そして自然界における経験に縛られている人間に、自由などあり得るのだろうか?」という疑問です。

考えてみれば、私たちは自分で考えて行動しているように見えて、実は生物的本能やそれまでの人生経験に支配されています。

例:

「お腹が空いているから、妹のプリンを盗んで食べた」

→生物的メカニズムに由来する欲求に縛られているので、自由とはいえない。

「虐待されたトラウマで人格に問題が生じて、殺人を犯した」

→それまでの経験に拘束されているので、自由とはいえない

実際、殺人で逮捕されるような人々は、事件を起こすまでの生い立ちや人間関係で深く傷ついていることがほとんどです。

このように、自然法則に生きる生物として、本来持っている生物的本能に拘束され、また社会に生きる人間として、人生経験により形成された考え方によって自分たちの行動のほとんどは決定されている中で、自然法則や経験に縛られない意志の自由なんてあり得るのでしょうか?

このような問題意識から、カントは、人間の理性が自らを律し(自律)、欲望や経験に抗って道徳法則に従うことに、理性の自由があると考えました。

たとえお腹がすいて死にそうであっても、「盗みを侵してはいけない」という道徳法則に従い、自分の食欲に対して「だが断る」を突きつける自由。これが、カントの考えた自由です。

理性が、欲望や経験に反抗して自分自身を律する。つまり、自由=自律なのです。

そして、理性が自ら自由に従う道徳法則を明文化したものとして、「汝の…」が定式化されました。

ここまでの議論をまとめてみましょう。

<モチベーション>

人間に自由意志はあるのだろうか?

<思考プロセス>

自由とは自律のことである。欲求や経験に左右されず、道徳法則に従って考え、行動することこそが自由である。

→欲求や経験に左右されず、人間が従うべき道徳法則の命令を明文化する必要がある。

<結論>

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

「自分ルールが普遍立法の原理になるように」などという理想論だけを暗記するよりも、「自由とは自律のことである」という考え方のほうが、興味深く、また自分の思考の幅を広げるものになります。

まとめ

哲学を学ぶ醍醐味は思考プロセスにある

今回は、「哲学を学ぶ醍醐味は、結論よりも思考プロセスを学ぶことにある」ということをお伝えしてきました!

最古の哲学者のひとりタレスが出した結論「万物は水でできている」なんて、現代であれば中学生でも否定できます。ですが、そこにいたるまでの思考方法は、いまでも十分参考になるものがあるのです。

哲学なんて学ばなくても死にはしません。ですが、思考プロセスまで吸収するのであれば、得るものがあるのは確実です。「ああ、そういうふうにも考えられるのか!」と感心するのは単純に楽しい上に、何より大きな利点として、実生活において柔軟に発想できるようになります。

とはいえ…

ここまでお話ししてきたことを覆すようですが、結論だけを学ぶことに意味がないとはいえ、学習の入り口ではポイントをつかむことから始めるのが適切です。というのは、周知の通り、哲学の専門書はほとんどがあまりにも難解であり、ゴールが見えないまま思考プロセスをたどるのは非常に難しい、というより殆ど不可能だからです。そこで、まずは各哲学者の思想の概要を知ってから、面白そうなものはだんだん専門的な本を読み、思考プロセスを吸収する、というのが現実的でしょう。

概要を知るための本としては、下の『史上最強の哲学入門』 (SUN MAGAZINE MOOK)がオススメです。各思想家の概要を解説しつつ、思想同士の関係性までわかりやすく解説しており、「史上最強」の題名に恥じない優れた入門書となっています。


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