「夫婦を超えてゆけ」とは?星野源「恋」のヘーゲル的解釈

「逃げ恥」

一昨年めちゃめちゃはやりましたね。私は一話も見なかったのですが、主題歌の「恋」はいたるところで耳にしていました。星野源のファンではありませんが、この曲は好きです。

さて、この「恋」の歌詞、深いこと言ってそうでなんだか意味がわからない箇所が多いんですよね。特に、サビ毎に繰り返される「夫婦を超えてゆけ」というフレーズ。しかも、ラスサビでは「二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ」というますます意味深なフレーズが続きます。

これらは一体どのようなことを意味しているのでしょうか?古典の力を借りて一解釈を加えてみたいと思います。

今回登場していただくのは、観念論を大成させたとして名高い、18世紀ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルです!

※以下、人数的に大多数である異性愛者の方に議論をわかりやすいように恋愛を異性でするものだとして「男女」という言葉で統一していますが、同性愛を否定する意図はありません。悪しからず。

難しすぎる『精神現象学』

ヘーゲルの主著といえば『精神現象学』であり、本記事もこの本にヒントを得て議論を進めていこうと思いますが、はじめに断っておきますと、私はこの本それ自体は数十ページしか読んでいません。入門書を通して理解しようと頑張ってるなうであります。

言い訳にはなりますが、ヘーゲルの言葉があまりにも難しいんです。例えば、ヘーゲルに「真理とは何か?」と聞いてみると、こう返ってきます。

真理とは、自己自身が生成することであり、自らの終りを自らの目的として前提し、始まりとし、それが実現され終りに達したときに初めて現実であるような、円環である。

出典:ヘーゲル著、樫山欽四郎訳『精神現象学』河出書房新社、2004年、pp.23

もちろん前後の文脈があるのでこれだけ取り出すのはアンフェアではあるのですが、このように、およそ日常的感覚では理解し得ないような言葉遣いをするのがヘーゲルです。今手元にある副読本によると、ヘーゲルの著作では独特の「ヘーゲル語」とでも呼ぶべきものが用いられていて、その文法が理解できないと読めないものらしいです……

そんなこんなで原典を読む力はまだない管理人なのですが、入門書を3冊読んで、なんとか自分の中にヘーゲル哲学の断片的なイメージは作れたので、それを元に「夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ」のフレーズを解釈していきたいと思います。

ということで、厳密にはヘーゲル自身の哲学ではなく、ヘーゲル学者によって書かれた諸々の解釈を元に以下の議論を進めていきますので、ヘーゲルの真意とは違っているかもしれないことはご了承ください!

弁証法

歌詞解釈に入る前に、まずは、ヘーゲル哲学のうち歌詞解釈に用いる要素を前提知識として整理しておきます。今回持ち出すのは「弁証法」(独:Dialektisch)と呼ばれる概念です。ヘーゲル思想の中でも有名なことばであり、さして哲学に関心がなくても聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。

弁証法は、ヘーゲルにおいてはより厳密には弁証法的運動と呼ばれるもので、ざっくり言うと、「あるAというものが、自分の中に含む反Aとの対立矛盾を解消しながら、さらに高次のものへ進んでいく運動」のことです。

案の定、ヘーゲルの思想を一文で述べようとすると意味不明なものになったので笑、『精神現象学』の「序文」から、弁証法的運動を比喩表現している箇所を引用して詳説します。

つぼみは、花が咲くと消えてしまう。そこで、つぼみは花によって否定されると言ってもよい。同じように、花は植物の偽なる定在と宣告され、植物の真として果実が花の代りとなる。これらの形式は、流動的な形式をもっているため、同時に有機的統一の契機となり、この統一にあっては形式は互いに対抗しないばかりか、一方は他方と同じように必然的である。この等しい必然があって初めて、全体という生命が成り立つのである。

出典:同上、pp.15~16

つぼみは、花が咲くと消えて(=花によって否定されて)しまいますが、花の中につぼみの性質は保存されています。これが弁証法的運動です。

弁証法のポイントは、「対立矛盾がそのものの内部にある」点です。外からやってきた矛盾と戦うのではなく、自分自身のなかの矛盾の解消を繰り返して発展していくのが弁証法的運動です。単に古いものを否定するというのではなく、前のものの性質を保存しながら、それを否定して発展していく。この、「前のものの性質を保存しながらそれを否定していく」作用を止揚(独: aufheben)といいます(ヘーゲルは、「保存」と「否定」の両方の意味を併せ持つドイツ語としてaufhebenを用いています)。

そろそろ本題に入りたいところですが、弁証法のイメージをつかんでいただくために、もう一個だけ簡単な例を挙げておきます(正しく弁証法を表現できているか微妙なラインの例ですが、わかりやすさ優先)。

<マラソンで金メダルを目指す人が行う弁証法的運動>

一日に長い距離走れば走るほど体力がつく→いっぱい走ると金メダルに近づける

一日に長い距離走れば走るほど体が壊れる→いっぱい走ると金メダルから遠ざかる

2つを止揚して、

一日に体が壊れない程度の長い距離を走れば体力がつく→ほどよく走ると金メダルに近づける

いっぱい走ると金メダルに近づける」と「いっぱい走ると金メダルから遠ざかる」という2つの要素を保存したまま、両方が否定されて「ほどよく走ると金メダルに近づける」という、より真実に近そうな命題が現れています。

以上の説明で、弁証法のおおまかなイメージはつかんでいただけましたでしょうか?

準備がよろしければ、(やっと)本題の歌詞解釈にに入ります!全体の解釈を行っても面白いと思うのですが、キリがないので本記事ではラスサビの「夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ」というフレーズの解釈にとどめます。

それでは以下で、「恋」と「愛」が弁証法的運動によって「究極の愛」に至る過程をご覧ください!(意味がわからないと思うので、速やかに中身へお進みいただくようお願いします)

ラスサビ「夫婦を超えてゆけ……」を読み解く

夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ

星野源 恋 歌詞 2018年4月8日最終閲覧

まずは、このフレーズの意味を考えるにあたって参考になる記述を他サイトに見つけたので、引用させていただきます。

この部分を考える上で、先ほどの愛が生まれるのはという部分(管理人注:2番の「愛が生まれるのは一人から」というフレーズ)が生きてくるように思える。

つまり、愛というのは夫婦という関係から生み出されるものではなく、個人の感情であり、それを作るのは関係に囚われない個人のあり方である、という事を歌っているのではなかろうか。

そして……を超えた先に、相手が自分を思っているのかどうかは関係のない無償の愛があり、恋を超えて愛にたどり着けという意味が込められている。

二人を超えてゆけは、夫婦という形に囚われずともこれはどんな関係においても言える事だというメッセージを感じ取れる。

そして……一人を超えてゆけというフレーズ。これは先ほどの内容とは矛盾する事にもなるが、そうはいっても「愛」という感情は二人の関係性の中で育むものである。

一人から生まれる「愛」という感情を超えて、二人の関係の中での、「愛」へと育てていく、そんな究極の「愛」のあり方を最後に提示してこの曲は終わっているのだ。

出典:星野源の恋愛ソング「恋」の歌詞の意味を紐解く – otokake(オトカケ) 2018年4月8日最終閲覧(太字は管理人)

「二人を超えてゆけは、夫婦という形に囚われずともこれはどんな関係においても言える事だというメッセージ」とありますが、ここについて管理人は、恋愛関係に限定されるものとして解釈し、「夫婦を超えてゆけ」を夫婦ではない男女の関係にも拡張したものと理解しています。その前提のもと「夫婦を超えてゆけ」と「二人を超えてゆけ」をほぼ区別せずに以下の議論を進めています。

さて、こちらの解釈文にあります<恋→(無償の)愛→究極の愛>という発展を、弁証法的運動であると捉えて、具体化してみましょう。

恋が「夫婦を超える」or「二人を超える」

さて、まずは、恋愛の初期形態であろう「」という感情から考察を出発します。この段階では、相手を見ていたい、近づきたい、そして願わくば相手にも自分を好きになってほしい、などという感情が個人の中にあります。

恋は明らかに自己中心的なものです。自分の幸せのために、相手を欲しがる。相手を好きであるとは言っても、それはいわば見返りを求めるものです。「愛してくれるから愛する」もしくは、「愛してくれるという期待をもって愛する」という形になり、相手からの返しの愛情がないことに不満を持ったりしてしまいます。恋はどこまでも「自分の幸せ」を願うものです。

しかし、関係性が続くうちに、恋する個人は次のことに気づきます。自分は、相手の幸せを侵害してまでも自分が幸せになりたいとは思っていないこと。例えば、自分が毎日連絡を取りたいと思っていても、それが相手にとっては負担であることを知った場合には、相手の心情を優先して頻度を調節したりします。このように、恋は一見するとどこまでも自分中心的であるように見える一方で、自分の幸福よりも相手の幸福を優先するという一面をはらんでいるのです。

<恋が孕む自己矛盾>

・恋は自己中心的情動である→自己が最優先される。

・しかし、恋する個人はときに自分の欲求と矛盾した相手の要望を優先することができる→自己よりも優先するものがある

そこで、「恋」はこの自己矛盾を解消しようとして、「夫婦を超えて」ゆくあるいは「二人を超えて」ゆくことに決めます。

「夫婦を超えてゆけ」、「二人を超えてゆけ」というフレーズを、思い切って、「ギブアンドテイクとしての恋を捨てよ」という意味に解釈してみましょう。相手が妻(夫)として自分を愛してくれているからではなく、すなわち相手の愛情があるからではなく、それを期待してでもなく、自分が相手を愛したいから愛する。「愛が生まれるのは一人から」(2番Bメロ)ということに落ち着きます。

かくして、「恋」はその中に孕む対立矛盾を解消し、高次のステージである「愛」へ進むことになります。

(無償の)愛が「一人を超える」

さて、「恋」は自分のために存在しているのに、相手の幸せを自分の幸せに優先できるという自己矛盾を乗り越え、「」へと昇華しました。ここでは、「あなたが幸せであれば私も幸せ」という、いわば「無償の愛」とでもいうべきものが体現されます。

しかし、「愛」する個人はすぐに次のことに気づきます。すなわち、相手の幸せを願っているようで、結局自分は自分の幸せを願っているのだと。

「あなたが幸せであれば私も幸せ」として相手に尽くすことは、言い換えれば、「相手の幸せを自分の幸福実現の手段として用いる」ということになります。よって、「恋」が「愛」に変わった時に否定されたはずの自己中心的価値観がここでも生き延びており、「愛」の中に自己矛盾を形成していることになります。

<愛が孕む自己矛盾>

・「愛」は見返りを求めず相手の幸せを願う→相手の幸せは目的である。

・「愛」は相手の幸せを通して自分の幸せを追い求める→相手の幸せは手段である。

「愛」のこの自己矛盾は深刻です。ここから完璧に逃れるためには、「相手の幸せが自分の不幸である」状態を実現しなければなりません。<恋人にプレゼントをあげる→相手が喜ぶ→それを見た自分も嬉しい>という状態では、相手の喜ぶ顔を自分の嬉しさのために利用したとも捉えることができてしまいます。これが解消されるのは<相手の喜ぶ顔を見て自分が不快になる>ときです。

せっかく自己中心的な「恋」を乗り越えたのに、「愛」はこんな悲劇的な状況に陥らざるを得ないのでしょうか。否、このような致命的な矛盾を乗り越える手段が、あと一つだけあります。

それが歌詞を締めくくる「一人を超えてゆけ」に他なりません。

究極の愛

「恋」から発展した「愛」が、自分の幸せと相手の幸せの矛盾を解消する最後の手段、それは、「一人を超え」ること、すなわち「自分か相手どちらかの幸せを願うことをやめて、二人の共通の幸せを願うこと」です。これによって男女の恋愛感情は「究極の愛」に到達します。

自分の幸せか相手の幸せどちらかを優位に置こうとしている限り、「恋」や「愛」が経験した自己矛盾を逃れることはできません。自分だけでも相手だけでもない、双方の願い、「共通の幸せ」を願う。これによってのみ、「自分の幸せ」と「相手の幸せ」の両方を願う「恋」と「愛」の矛盾的性質は保存されながら否定され(=止揚、高次の恋愛が実現します。

では、恋愛する男女の「共通の幸せ」とはなにか?それは「胸の中にあるもの」(各サビ)であり、それ自体触知できるものではないかもしれません。しかし、ときにそれは物質化されて表現されることがあると私は考えています。

その最たる例が「子供」です。双方が子供の幸せを願っている時、自分の幸せと相手の幸せは決して矛盾せず、また主従や優劣、手段と目的の関係に置かれてもいません。この意味で、「究極の愛」の化身として現れたものが子供であり、男女の「恋」「愛」がはらむ自己矛盾を解消する手段として最終的に残されているのが、「子供の幸せ」を願うことだといえます。

あとがき

管理人は恋愛するのも恋愛について考えるのも大好きなのですが、長らく恋人がいないとだんだん恋愛に関する考察が形而上学的になっていくのを感じます。恋したいな〜


本記事を書くにあたって参照しましたいくつかの文献を紹介しておきます。

まず、こちらが私が最初に読んだヘーゲル入門です。ヘーゲル以外の哲学を専門としている方が書いていらっしゃるので、専門的になりすぎないところがありがたいポイントでした。

次に、こちらが、今回の記事作成にあたって最も参考にした入門書です。複数のヘーゲル学者による共著であり、「?」って思ったところにちょうど解説が入るので、少し頑張ったら読み通すことができました。

あと、こちらも読み通しました。いろんな学者によるヘーゲル論を集めたもので、雰囲気を掴むには効果的でした。

最後に『精神現象学』そのもの。私も少しずつ頑張って読んでいる状態です。

以上が参考文献でした。気になるものあったら読んでみてください〜♪


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