神は実在する?YesでもNoでもないカントの答えとは?

突然ですが、神は実在すると思いますか?

宗教を熱心に信仰している人であれ、そうでない人であれ、一度は考えたことがある問題ではないかと思います。

今回は、人類にとって永遠のテーマとも言えるこの問題について、18世紀のドイツ人哲学者エマニュエル・カントが与えた回答を紹介しましょう〜♪


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結論:「いる」ということにしておこう

「神はいるのか」という質問に対しカントは、端的にいうと「わからない」と答えます。

「そんなのアリかよ!」と思われるかもしれませんが、これはカントがその批判哲学で貫いたスタンスに則ったものになります。すなわち、「人間が全てを知ることは不可能」というスタンスです。この点については、過去記事で何度か紹介させていただいています(下記)。

ただ、敬虔なプロテスタント教徒であったカントは、カントは神の存在証明を全く放棄したわけではありません。彼は、「神がいるかどうかは人間にはわかりえない」とした上で、「いるということにしておいたほうが都合がいい」と主張しました。

なぜか?それを理解するために、カントが持っていた1つの問題意識を紹介します。

「人間の理性には限界がある(人間が全てを知ることは不可能)」というカントの考え方については、以下の記事で解説しております。

科学はなぜ可能なのか?カント哲学の「物自体」をわかりやすく

カントの批判哲学とは?思想上の立場をわかりやすく解説

カントの問題意識:徳と幸福が一致するためには?

カントは、主著の『実践理性批判』の中で、「どうすれば最高善が達成されるか」という問いについて考えています。

最高善とは、簡単に言うと、「徳と幸福の一致」、つまり、「人として良い行いが必然的にその人にとっての幸せと結びつく」状態のことを指します。

でも、徳と幸福が必然的に結びつくことなんて、普通はありません。

自分の味覚を満足させようとしてラーメンを食べる → 戦争がなくなる

戦争をなくすために努力する → 自分の味覚が満足する

どちらも、科学的にはありえないのは明らかだと思います。では、いかにして、最高善は達成されるのか?

「要請」としての神

カントはこう考えました。

「神というものがもし実在すると仮定すれば、徳→幸福の結びつきを可能にしてくれるかもしれない」

図解すると次のようになります。

このように、「それ自体は必然的な結びつきを持たない徳と幸福が、『神』という存在を媒介してつながりをもつのではないか」、より正確には、「そう考えることで、最高善というものを想定できるのではないか」というのが、カントの考え方です。

このようにして、最高善を可能にするための「要請」として、神の存在が想定されたのでした。

おわりに:哲学から考え方を学ぶ

哲学を専門にするわけではない人にとって、哲学を学ぶメリットは何か?

この点について私は、「思考のフレーム」を学べることが1つの大きな利得ではないかと考えています。

今回紹介しましたカントの考え方は、YesともNoとも決定できない問題について、「Yesということにしといたほうがいいんじゃない?」という形で決着をつけるというものです。

これは、日常生活にも十分応用できる思考法だと思います。

たとえば、「あの人は私のことを嫌いかもしれない」と不安になった時は、「嫌われている」と「嫌われていない」のどちらを仮定する方が自分にとって得になるかを考える、といった具合にです。

カントに限らず、過去に活躍した哲学者の思想それ自体は、後世の哲学者によって乗り越えられたり、科学的に間違っていることが証明されるなどして、現代では通用しなくなっている部分も多いです。ただ、考え方を学ぶという意味では、「考えること」に生きた過去の哲学者から吸収する部分も多いのではないでしょうか?


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