人間に自由意志はある?カント哲学が出した答えとは?

こんにちは!「凡さんす」(@academicocktail)と申します。政治学や哲学を勉強している大学4年生です。

本日は、「人間に自由意志はあるのか」という議題について、ドイツの哲学者エマニュエル・カントが出した答えを紹介したいと思います。


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カントの立場:「自由意志はある」と考えたい

カントの立場をすごーく簡単にまとめると、以下の3点になります。

①自由意志があるかどうかは、人間にはわからない。

②「自由意志がある」と考えた方が、都合がいい。

③そこで、自由意志が存在する可能性を示す。

順を追って解説します。

※この順番は便宜上つけたものであり、必ずしもカントの著作の流れに沿ってはいません。

①自由意志があるかどうかは、人間にはわからない。

古来から哲学者たちは、「人間の自由意志」の存在を証明しようとしては失敗してきました。

これは、カントによれば、結局のところ「自由意志があるかないか」は人間には解けない問題であるからということになります。

今回は詳しく解説しませんが、「人間にはいくら考えてもわからない問いがある」というのが、カントの代表作である『純粋理性批判』のメインの主張の一つです。

②「自由意志がある」と考えた方が、都合がいい。

さて、人間に自由意志があるかどうかはわからないとはいえ、

「人間には自由意志がなく、私たちの行動は遺伝子や過去の経験によって完全に決まっている」

と考えるのは、なるべく避けたい道です。

というのも、「自由意志がない」とすると、私たちが「道徳」と呼んでいるものが意味をなさなくなるからです。

ある人が殺人を犯した例を考えましょう。

もし、殺人を犯すかどうかにその人の意志が介在しておらず、先天的・後天的原因(遺伝子や育った環境など)で全て決まっていると仮定した場合、刑罰を課すのが不当になってしまいます。

このように、「自由意志がない」と仮定すると、もはや何をやっても本人に責任がないことになるのです。

これではまずいので、カントは「自由意志が存在する可能性」を証明することにしました。

③そこで、自由意志が存在する可能性を示す。

自由意志の存在する可能性を示すにあたって、カントは「人間は2つの世界に同時に属している存在である」と考えました。

その2つの世界というのは、自然法則が支配する現象界と、道徳法則が支配する叡智会可想界)です。

そして、前者に属する人間をフェノメノン、後者に属する人間をヌーメノンと名付けました。

そして、「フェノメノンとしての人間に自由はないが、ヌーメノンとしての人間には自由がある」というのがカントの答えです。

<カントの批判哲学における人間の2つの側面>

フェノメノン:自然法則に従う現象界に属する。自由がない。

ヌーメノン:道徳法則が支配する叡智会に属する。自由がある。

そのうえでカントは、人間が持つ自由とは、「道徳法則に従う自由」のことであると主張しました。

言い換えれば、「欲望に抗ってまでも正しいことをする自由」が、カントが捉えた人間の自由です。

次の節で、具体例を挙げて解説します。

ちなみに、ここでいうフェノメノン・ヌーメノンは、それぞれ下記の記事で解説しました「現象」「物自体」とほぼ同じ意味です。

科学はなぜ可能なのか?カント哲学の「物自体」をわかりやすく

カントの考え方を『羅生門』で説明する

説明は以上になりますが、もう少しイメージを膨らませたいという方のために、具体例をあげたいと思います。

芥川龍之介『羅生門』で説明します。

まずは、読んだことのないという方のために簡単にあらすじを。

『羅生門』

背景:平安時代、飢饉や竜巻などの自然災害で荒廃した京都の羅生門。

あらすじ:

主人公の「下人」は、仕えていた主人から数日前に解雇され、身寄りも食料もなく途方にくれていた。いっそ盗賊になろうとでも思うが、良心の呵責からなかなか実行できない。

たまたま見かけたおばあさんが、売り物にするために若い女の遺体から髪を引き抜いていた。

おばあさんの残虐行為に憤る下人だったが、「自分もそうしなければ、餓死する体なのだ」というおばあさんの言葉を聞いて、自分もまた、生き延びるための行動をとる決断をし、おばあさんの服を剥ぎ取って去る。

さて、彼が最終的におばあさんの服を剥ぎ取った行動。これは、

「自分が食料を得て生き延びたい」

という生物的本能に従った行為ですので、自然法則に支配されたフェノメノンとしての行為だと考えることができます。

(つまり、「空腹になれば食料を求める」という生物の物理法則に従っている)

しかし、そこに至るまでの過程において主人公は、

「自分が生き延びるためにであれば人道に反することをしてもいいわけではない」

と考えて葛藤していました。これは、道徳法則に従おうとするヌーメノンとしての彼の考え方であると言えます。

結果、下人はフェノメノンとしての行動をとりましたが、少なくともヌーメノンとして道徳にかなった行為を行う自由があったということは、『羅生門』でも描写されているといえるでしょう。

動物であれば、倫理観と葛藤することはなく、欲望に従って自分の保身をはかるかもしれません。それに対し、理性を持つ人間は、自然法則に抗ってまでも「正しいことをしたい」と思い、そして行動する自由があるということです。

自然法則に規定された欲望に抗い、道徳法則に従って行動する自由。これが、カントが人間に認めた自由意志でした。

おわりに

今回は、「人間の自由意志」についてのカントの考え方を紹介しました!

神の存在証明などにおいてもそうでしたが、カントは、それまでの哲学上の難問を、世界を2つに分けることによって解決してきました。

答えの出ない問いにぶつかった時、「ある意味ではイエス。ある意味ではノー」と切り分けて考えるという方法は、日常生活でも十分応用可能なものかもしれませんね!


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