カントの批判哲学とは?思想上の立場をわかりやすく解説

哲学者

と聞いて、誰の名前が浮かびますか?

プラトン、アリストテレス、デカルト、ヘーゲル、ハイデガー

あたりが、さして哲学に関心のない方でも思いつく人物でしょうか。

さてさて、上に挙げました方々と同じくらいに有名な哲学者に、ドイツ観念論の流れをつくったエマニュエル・カントがいます。

他の哲学者の思想を勉強していても必ずと言っていいほどその名前が登場するカント。今日は、彼の思想について、例え話も交えつつ分かりやすく解説します!


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カントの批判哲学は哲学ではない?

カントの代表作『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)で展開される思想は「批判哲学」と呼ばれていますが、実はカント自身は「これは哲学ではない」という立場を取っています(笑)

哲学史上最重要人物の思想が哲学ではないとはなんたることでしょうか?ジョージ=ルーカス氏が「スター・ウォーズは映画ではない」と言い張ったかのような気持ちの悪さを感じます。

ではカントが意図したものはなんだったのか?それは、単純に表現すると、哲学の準備でした。

より具体的には、「哲学はどの範囲まで戦えるのか?」、言い換えれば「人間が知り得るのはどこからどこまでか?」というのが、『純粋理性批判』における議題です。

なぜ、これが大きな意味を持ったのかを説明するために、カントの直前の哲学の状況を解説しましょう。

短距離走で例えてみよう〜

カントが何をしたのかをわかりやすく説明するために、カントを取り巻く哲学の状況をで100m走で例えてみます。

そこで、「哲学上の真理にたどり着くこと」=「100mを0秒で走ること」だとしてみましょう。

(あくまで感覚的な例えですので、具体的な思想内容まではこの記事では触れられません)

18世紀に活躍したライプニッツ=ヴォルフ学派と呼ばれる哲学者たちは、いわゆる形而上学に取り組んでいました。例えば、「神はどのようにして存在するのか?」「世界は無限なのか?」などといった、一般的に哲学としてイメージされるような問いを解く人たちです。彼らは「この世の真理」的なものを求めていたので、100mを0秒で走ることを目指していた人たちであると言えます。

しかし、どうやってもうまくいきません。みんなそれぞれ、「最強の練習方法を開発した!これなら0秒で走れる!」と主張するのですが、なかなかそこにたどり着いた人はいませんでした。

あるとき、それまで同じように100m0秒を目指してトレーニングを重ねていた一人の哲学者から、次のような提言がなされます。

これが、カントの『純粋理性批判』が取る思想的な立場になります。

つまり、「人間の理性(人間がする哲学)ができるのはここまでだから、この範囲で戦いましょうよ」ということです。100mを0秒で走ろうというのは、そもそも無理な試みであり、当時の哲学的議論がうまくまとまらなかったのはそのためだという主張でした。

日常語で”批判”というと、どうしても何かに攻撃するようなイメージが湧きます。ですが、カントの「批判」(Kritik)という言葉が表すのは、「攻撃」ではなくどちらかというと「吟味」に近いニュアンスです。「人間の理性はどこまでできるかな〜?」もっと平たく言うと、「人間はどこからどこまでを知ることができるのかな〜?」というのを考えたのが、カントの批判哲学でした。

その後の流れ

上記のような哲学史上の偉大なる一歩を踏み出したカントでしたが、大きな弱点がありました。文章が下手すぎたのです。

ただでさえ難しい内容を、ものすごく難しく書いてしまったので、『純粋理性批判』は出版当初ほとんど理解されませんでした。そのため、数々の哲学者から誤読された上で反論されるという非常に面倒な状況になります。辟易したカントは、自ら『プロレゴーメナ』(Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können)という解説書を出しますが、ほとんど効果はありませんでした。

カントが救われるのは、オーストリア生まれの哲学者のラインホルトが登場してからです。当時まだ30歳にも満たなかった彼のみが『純粋理性批判』を理解し、『カント哲学についての書簡』(Briefe über die Kantische Philosophie)という論文を投稿してカントの批判哲学を擁護しました。これにてようやく、カントの功績は哲学界において認められるようになります(なお、その後ラインホルトがカントの賛同者にとどまることはなく、やがて彼を批判し自分の哲学体系を構築するに至りました)。

さて、カントの哲学は、短距離走で例えれば「人間の最大スピードは100m5秒やで」というものでした。図式すると次のような理論です(細かい単語が出てきますが読み飛ばして構いません)。

このように、人間が認識できる世界(「現象界」と呼びます)と人間が認識できない世界(「叡智界」と呼びます)をスッパリ分けるのがカントの思想でした。これに対して、あの手この手でその2つを統一しようと試みたのが、フィヒテシェリングヘーゲルに代表されるドイツ観念論の方々です。これ以上を100m走で例えるのはもう無理なので、その細かい内容についてはまた別の機会に解説させていただくことにします。

なお、ドイツ観念論自体はへーゲル以降衰退していくことになりますが、そのへーゲルの思想を吸収し、それを乗り越えた上で自らの唯物史観を打ち立てたのが、かの有名な共産主義者カール・マルクスです。

おわりに

今回は、カントが哲学史上で果たした役割について、100m走に例えて解説してみました。ひとことでまとめると、人間にわかることとわからないことを区別することで、哲学者が無益な論争を繰り広げるのにブレーキをかけた、というのがカントの功績(の1つ)です。もっとも、カントの思想にも弱点はあり、だれもが彼の立場に従ったわけではありません(上記のようにドイツ観念論らはカントを吸収した上で乗り越えようとした)。しかし、カント以降に影響力をもった哲学者達は、ほとんど全員がカントの思想を踏まえた上で自分の思想体系を構築しているのは確かです。

実際に『純粋理性批判』に何が書かれているのかを知りたい方は、Philosophy Guide様のこちらの記事をのぞいてみるといいと思います。→ カント『純粋理性批判』を解読する | Philosophy Guides

また、当ブログの過去記事でも、カントが『純粋理性批判』でカントが取り組んだ問題の一つについて考察していますので、ぜひ読んでみてください!→ カント『純粋理性批判』紹介と、西洋哲学に感じるモヤモヤ

と、紹介しておいてなんですが、やっぱりネットで記事を1つ2つ読むくらいでその面白さが理解できるものではないので、一番わかりやすかったカント入門書のamazonリンクを貼っておきます笑。よかったらどうぞ!


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