【知識ゼロでもわかる】シェリングの同一哲学とは?解説しました

この記事では、ドイツ観念論の代表的哲学者の1人、フリードリヒ・シェリングの思想を解説します!

ドイツ観念論自体は高校倫理の教科書にも載っているので、名前を聞いたことがある方も多いと思います。

ただ、ドイツ観念論は一般的に「カントを乗り越えようとしてはじまり、フィヒテシェリングを経て、ヘーゲルにより完成された哲学体系」とされ、この4人が代表的思想家として名前を挙げられるにもかかわらず、高校教育を含めて巷で語られるのは主にカントとヘーゲルの思想です。

ですので、この二人に比べてフィヒテやシェリングの思想はいまいちイメージを掴んでいない方が多いのではないかと思います。

そこで、今回は、前期シェリングの哲学を解説します。

なるべく専門用語を使わずにわかりやすく説明するので、最後までお付き合いください!


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問い「このりんごは本当に赤いのか?」

シェリングの前半の哲学は、同一哲学と呼ばれています。これは、「主観と客観は同一である」とする立場です。

シェリングのこの考え方を説明するために、西洋思想の全体像を少し振り返ります。

西洋哲学が伝統的に取り組んできた問題に、「主観と客観の関係」があります。これは、人間の認識の確実性を問う問題です。

例えば、目の前にリンゴがあるとき、私たちは「このりんごは赤い」と認識することができますね。しかし、私たちがみているリンゴが赤いことを、どのように証明しますか?人間が見ているものは、本当に正しいのですか?錯覚に陥っているだけではないのですか?

哲学者たちは、様々な考え方をもって、この問題に決着をつけようとしてきました。すぐに思いつく、しかしあまり良くない考え方は以下の2つです。

自分が「赤い」と思ってるんだから、これは赤いに決まってる。人間が考えることが絶対正しい独断論)。

このリンゴが「赤い」かどうかは分からないし、そのほかのことについても、人間が確実に真実を認識することは無理懐疑論)。

①のような独断論をみんなが持ち出してしまったら、みんな「自分が正しい」と言い出して、世界の統制が取れなくなるので、これは回避される必要があります。

一方で、②の懐疑論の立場を取れば、自然科学を含めた人間の知的活動の意味がほとんどなくなってしまいますので、これも問題です。

どうしましょうか。

無難な解決策としては、カントの批判哲学があります。

リンゴがほんとうに(例えば神様から見ても)赤いかどうかはわからないけど、少なくとも人間にとっては「赤い」といえるから、人間が生活するぶんにはそれで問題ない(カントの批判哲学。詳しくは→科学はなぜ可能なのか?カント哲学の「物自体」をわかりやすく)。

一応これで①独断論と②懐疑論を回避することはできるのですが、リンゴの「ほんとうの姿」が結局謎になるという点で、スッキリはしません。

さて、いろいろな哲学者が回答を与えてきたこの「主観と客観の関係」ですが、この伝統的な問いに対して、シェリングはどう考えたのでしょうか?

シェリングの回答:同じものは分かり合える

シェリングは、この主観と客観の問題に対して、はっきり言ってかなり独特な考え方で解決を試みます。

それはこちらです。

④人間と自然(界にあるもの)は同一であるから、人間の主観と、人間が見ている客観は一致する

シェリング哲学が「同一哲学」と呼ばれるのは、この考え方に由来しています。つまり、主観と客観、人間と自然世界は同じものであり、だから通じ合えるというものです。

もう少し、詳しく解説します。

シェリングの考え方:人間の意識は自然の延長

シェリングは、人間を含めたあらゆるものは絶対者(神のようなもの)の現れだと考えました。

感覚的な説明を以下に書きます。

自然界には、いくつか「見えざる力の現れ」とでも呼びたくなるような不思議な現象があります。これを、シェリングはポテンツ(potenz)と呼びました。

例えば、「磁気」。磁石のどこをどう分解しても磁力は目に見えませんが、それにもかかわらずS極とN極ななぜか惹かれ合います。

電気」も同じですね。2つの物質を摩擦すると、よくわからない見えざる力が作用して電子が移動します。

ここで翻って、人間の「意識」について考えてみましょう。我々の体をどんなに小さく分解しても、「意識」は出てきません。でも、確かに「意識」は存在し、それに基づいて我々は認識・知的活動を行っています。

このように、自然現象と人間の意識は、割と似ていることがわかりました。このことに着目し、「自然現象と人間の自己意識は、両方とも絶対者(神のようなもの)としての自然の精神の現れであり、両者は同じものである」としたのが、シェリングの同一哲学です。

おわりに

今回は、シェリングの同一哲学を、なるべく専門用語を使わずに感覚的に解説してみました!

そのため、厳密にはワードチョイスが微妙なところもあるのですが、大まかなイメージをつかんでいただくには役立つ記事かと思います。

それにしても、シェリングによる自然と人間の捉え方がかなり独特だと感じるのは、私だけでしょうか?

「西洋の人たちは自然と人間を対立するものと考え、自然を克服しようとしてきた」とよく言われますが、シェリングの考え方はこのような西洋思想の一般的な考え方とはかなり違ったものである気がします。

シェリングの哲学は最終的にあまり影響力を持たなかったのですが、もし彼の哲学がヨーロッパ世界の思想基盤として受け入れられていたら、今とは違う人間社会になっていたかもしれませんね!


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主な参考文献

・村岡 晋一 『ドイツ観念論 カント・フィヒテ・シェリング・ヘーゲル』 講談社選書メチエ, 2012年, p.96-146

※アイキャッチ画像はWikipedia commons (Public domain)

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