深い友情を築くのに必要なのは?:『アンネの日記』を例に

友達は何人いますか?

この質問に答えるのは難しい。というのも、どこからを友達とするかが微妙だからです。

休日に遊びに行くのが友達?学校で会ったら挨拶を交わす人が友達?facebookで友達だったら友達?

いろいろな線引きが考えられますが、ところで、「ほんとうにほんとうにこの人は真の友達だ!」って言える人って、結構少なくなっちゃうのではないでしょうか?

今回は、「“ほんとうの友達”はどうしたらできるのか」という問いについて考えていきたいと思います。

本記事は『アンネの日記』(アンネ・フランク著)のネタバレを多分に含みます。核心部分には触れませんが、同作品をこれから読む、しかも前提知識ゼロのまま読みたいという方は、同作品を読了したのち本記事も読んでいただければと思います^^;)

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概念定義:ほんとうのお友達

「”ほんとうの友達”はどうしたらできるのか」

こちらが本記事の議題ですが、そもそも”ほんとうの友達”とはなんでしょうか?

これについても万人それぞれの回答があると思いますが、ここでは、かの有名な『アンネの日記』の著者アンネ・フランクによる定義にしたがって議論を進めていくことにします。

『日記』の冒頭にてアンネは、“ほんとうのお友達”が欲しいということについて語ります。当時13歳のアンネ・フランクが友達について抱いていた悩みはどんなものだったのでしょうか。

だれもがただふざけあったり、冗談を言ったりするだけ。それ以上の仲じゃありません。身のまわりのごくありふれたことのほかは、だれにもぜったいに話す気になれませんし、どうやらみんな、おたがいそれ以上に近づくことは無理みたいです。そこが問題の根本なんです。

出典:アンネ・フランク著, 深町眞理子訳『アンネの日記 増補新訂版』文春文庫, 2013年, p.23

大雑把にまとめれば、「なんでも話せる」という点が、”ほんとうのお友達”に必要な要素であるといえます。

『日記』の後半でも、アンネは次のように語っています。

わたしのほしいのは取り巻きではなく、友人なんです。うれしがらせの笑顔にひかれるひとではなく、わたしの言動や性格を好きになってくれるひとなんです。

出典:同上, p.362

こちらも基本的なニュアンスは上と同じですが、「本音と建前の区別なく付き合える」という点が大事であるといえます。

では、こうした”ほんとうのお友達“=「本音と建て前の区別なく付き合え、なんでも話せる友達」はどうしたらできるのか?今日はいつもとちがって哲学者ではなく、とある学生ライターさんの学説を引っ張ってきます。

理論:大学の友達関係、浅くない?

【大学の友達関係、浅くない?】大学生的お悩み相談室vol.2- きっとみつかるカフェ

こちらは、大学生の界隈では有名な「きっとみつかるカフェ。」という学生掲示板の記事です。こちらの記事では、大学生の交友関係が「うわべだけになりがち」であることについて考察したのち、次のような結論が得られています。

「つらいことを共有しないと深い関係にはないれない」
こちらに関係する同記事の解説を少し引用させていただきます。

……高校や中学を思い出してみると、毎日授業があって、勉強やテストや部活に追われて、体育祭や文化祭をやって……わりと大変だった気がしませんか。

でも、そういう普通に考えれば「大変なこと」を、周囲の友人と共有して、一緒に頑張って乗り越えた。
だからこそ、お互いを理解したり信頼できるような友人が高校までにできる人が多いんじゃないかなと思う。

ただ、大学ではそういう「つらいこと」「大変なこと」が少ない。
基本的に友達とは「楽しいこと」しかしない。
サークル活動とか、飲みとか、旅行とか。
授業だって、高校までに比べればそこまで毎日負担じゃないし。

つまり、
高校までの友達が「つらいことを共有する」仲間だったのに対して、
大学での友達は「楽しいことを共有する」仲間である、
ということ。

そりゃあ、どう考えても楽しいことをやるんだから、周りにいる人が誰であろうが、楽しいのは当たり前だし、お互いを深く理解する必要もない。
「うぇーい!」って言われたら「うぇーい!」って返しときゃいいみたいなとこありますよね! うぇーい!

だから、普段は気づかなくても、ふと一人になったりつらいことに直面したとき、「あれ、誰に相談したらいいんだろう」「人間関係、浅くね?」ってなるんじゃないかなと思います。

出典:【大学の友達関係、浅くない?】大学生的お悩み相談室vol.2- きっとみつかるカフェ 2018年6月1日最終閲覧(太字は元記事より)

現役大学生の方、もしくは最近大学を卒業された方、共感するところが多いのではないでしょうか?身の回りに友達と呼べる人はたくさんいれど、「なんでも話せる」・「本音と建て前なく付き合える」友達となると、一度や二度のつらいことを一緒に乗り越えた人の割合が高い気がします。

さてさて、この「つらいことを共有しないと深い関係にはなれない」という仮説、正しいのでしょうか?こういうもっともらしい仮説を見つけた時には、実証をしてみたくなりますよね(私だけか)。

ただ、「つらいことを共有しないと(絶対に)深い関係にはなれない」という、いうなれば「つらいこと」を必要条件とする仮説の実証は難しいので、ちょっとゆるめつつ、先ほどのアンネによる概念定義を入れ込んで、

「つらいことを共有すると”ほんとうのお友達”になれる」

という仮説を実証してみたいと思います。

それでは、以下でもう一度アンネに登場してもらって、彼女が”ほんとうのお友達”を作ることができた様子を観察し、かるーい事例分析を行いましょう〜♪

実証:アンネとペーター

紹介が遅れましたが、『アンネの日記』は、第二次世界対戦中にユダヤ人の女の子アンネが13~15歳の時に書いた日記です。ナチスの迫害から逃れるために家を捨てて移動した空き家(作品中では《隠れ家》と呼ばれる。本記事もそれに従う)における、アンネの家族のほか知り合い家族を含め総勢8人の共同生活の様子がつらつらと記してあります。

冒頭で”ほんとうのお友達”がいないと嘆いていたアンネですが、実は『日記』の中盤に、《隠れ家》で共同生活をするメンバーの一人の男の子ペーター・ファン・ペルスとそれに近い友情を築くことができます。

どうして二人が友情を築けたのか、本文を引用しつつ要因を探っていきましょう。

ペーターの第一印象

『アンネの日記』は、例えてみればTwitterの裏アカウント、より適切には(そんなものありませんが)Facebookの裏アカウントみたいなものでして、ありとあらゆることがそのときアンネが感じたままに書かれています。

ここで、はじめて《隠れ家》にペーターの家族が入ってきた時の、アンネが彼から受けた第一印象を見てみましょう。

朝の九時半に(わたしたちはまだ朝食のさいちゅうでしたけど)、ファン・ダーンさん一家の独り息子、ペーターがやってきました。もうじき十六ですけど、ちょっぴりぐずで、はにかみ屋で、ぶきっちょな子です。あんまりおもしろい遊び相手にはなりそうもありません

出典:同上, p.61(下線は管理人)

そう、アンネが受けたペーターの第一印象は決して良いものではありませんでした(笑)この日記をペーターに読まれなくてよかったなと思います。読まれていたら以降の展開は全然違ったものになっていたかもしれません。

それ以降、『日記』中にしばらくの間ペーターのことはとりたてて書かれず、アンネの中でペーターがどうでもいい存在であったことが見て取れます。

その1年半後…

上記のように、最初からペーターと仲良くなりたいと思っていたわけではないアンネですが、実は後半ではとても仲が良く、毎日ペーターの部屋に通ってはおしゃべりをするようになっています。

このごろは上(管理人注:ペーターの屋根裏部屋)へ行くたびに、”あのひと”(注:ペーター)に会えればいいと、そればかりを念じています。いまでは人生に多少の目標と楽しみができましたので、すべてが以前よりも明るく感じられるようになりました。

……ペーターとのあいだに、なにかがそだってゆくかもしれない、なにか素敵なもの、なにか友情とか素敵なものが……いまでは、ちょっとした機会さえあれば、すぐに上へ行きます。

出典:同上, p.333

なんというデレデレぶりでしょうか(笑)事実、アンネはペーターの屋根裏部屋に行っては、お互いの勉強していることの話や、将来の夢の話など、洗いざらいを語り合う仲になります。

こうした変化のきっかけはなんだったのでしょうか?少し、時間を過去に戻します。

つらいことの共有:人間関係の悩み

二人が仲良くなったきっかけは、《隠れ家》内における人間関係の悩みを共有したことにありました。

アンネは《隠れ家》生活の序盤から、両親との摩擦に苦しんでいます。とくに、母親が姉のマルゴーをひいきし、自分を理解してくれないことに対する愚痴を何度も『日記』に書いています。また、《隠れ家》生活の途中で一緒に住むことになったデュッセルさんというおじさんも、(アンネの目からすれば)かなり性格の悪い大人であり、彼女にとって《隠れ家》での生活では、こうした人間関係の悩みとの闘いでした。なお、衝突の原因には、彼女自身が大人になりきれておらず、うまく自分の思っていることを表現できないために、やたらと大人達を怒らせてしまうこともありました。

このように、周囲の大人との相性自分のコミュニケーションの不器用さにより人間関係に悩んでいたのは、実はペーターも一緒でした。以下は、ペーターがデュッセルさんと喧嘩をしたのち、アンネに愚痴った場面です。ここで二人が共通の悩みを持っていることが判明します。

「そうなんだ、わかるだろ、ぼくって、口下手でさ。何を言おうとしても、すぐ舌がもつれちゃう……ほんとはぜんぜんべつのことを言いたかっただけなのに、いったん口をひらいたら、収拾がつかなくなっちゃった……きみには感心しちゃうよ。なにしろ、ぜんぜん言葉に詰まるってことがないし、言いたいことを的確に言ってのけて、これっぽっちも、はにかんだりしないもんね」

「ああら、それはあんたの思いちがいよ」わたしは答えました。「わたしだっていつも、言いたいこととはぜんぜんべつのことを言っちゃうわ。おまけに、しゃべりすぎるし、つい言いすぎちゃう。これだって、けっしてよくないわよ」

……この家のなかに、わたしとおなじようにかっとなる癖のある人がいると思うと、とてもホッとします……ペーターはわたしに告げ口される心配もなく、思う存分デュッセルさんのことをこきおろして、すっきりした気分でいるようでした。これはわたしにとってもうれしいことでした。ほんとうの連帯感が持てたような気がしましたから。記憶にある限りでは、これまでそういう連帯感は、同性のお友達にたいしてしか感じたことがありません。

出典:同上, pp.324-325(下線は管理人)

これ以降、アンネとペーターは、自分の将来やりたいことなど、「うわべだけ」の友達には決してしないであろう話題で語らう仲になってゆきます。アンネが求めた”ほんとうのお友達”にペーターがなれたのかはわかりませんが、少なくともそれにかなり近い間柄になれたということは間違いないでしょう。

1年以上もの間友達未満だった二人がこうして仲良くなれたのには、《隠れ家》内における人間関係の悩みという「つらいこと」を共有したのが大きかったと言えます。

(このあとアンネとペーターがどうなったかについては、ぜひぜひ『日記』を読んでみてください♪♪)

おわりに

そこそこ長くなったので、本記事の要点を以下にまとめておきます。

<まとめ>

仮説:「つらいことを共有すると”ほんとうのお友達”になれる」

“ほんとうのお友達” = 本音と建て前の区別なく付き合え、なんでも話せる友達

実証:アンネとペーター
→はじめはそこまで仲良くなかったが、「人間関係の悩み」という「つらいこと」を経験したことにより、”ほんとうのお友達”になれた(少なくとも近づけた)

個人的な話になりますが、私の最近の行動方針の一つに、「飲み会で仲良くなるよりも、仲の良い人と飲みに行く」というものがあります。飲み会のようなオフではなくオンの時間、すなわちエネルギーを費やして何かを一緒に生産するという活動を通して人間関係を広げ、深く話したいなと思った人(もしくは思ってくれた人)とプライペートで会うということです。知らない人話す機会もそれはそれで有意義なのですが、飲み会を直接の原因として”ほんとうのお友達”ができた経験はないので、「つらいこと」を経験するなどして仲良くなった”ほんとうのお友達”との付き合いを大事にしています(要約すると、コミュ障ということです)。


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