自由意志論と決定論:自由意志は「あると信じたい」

こんにちは!

「凡さんす」(@academicocktail)と申します。

哲学が大好きなフリーターです。

この記事ではこんなことについて考えます。

この記事で考える問題↓ 

人間に自由意志はあるのかな?それとも物理的な因果関係で全てが決まっているのかな?

2分ほどで読み終わる記事ですので、どうかお付き合いください。

自由意志と決定論

哲学上では、自由意志論と決定論の間で両立の可能性が探られてきました。

まず、決定論とは何か。

ある時点の世界の状態が原因となって、その次の時点の世界の状態が帰結し、自然法則にしたがってこの因果が繰り返される。

「やや不正確ですが簡単にまとめれば、ビッグバンが起きた時からの因果関係で全てが決まっている」とする学説ですね。

これに対して、自由意志論とは、これも乱暴にまとめれば、人間には自分で自分の行動を決められる自由意志があるとする学説です。

たとえば私が目の前のチョコレートを食べたとして、決定論と自由意志論それぞれの解釈を示してみると、

決定論:チョコレートを見る → 脳がチョコレートに反応して欲望が引き起こされる → チョコレートを食べる

自由意志論:チョコレートを見る → チョコレートを食べることを(生物学的な欲求とは関係ない、魂みたいな部分で)決心 → チョコレートを食べる

このようになります。

このように、人間の行動を物理的な因果関係(反射とか脳の働きを含む)に還元して説明しようとするのが決定論で、それ以外の魂的なものを想定するのが自由意志論であるといえます。

※ほんとうは決定論でも自由意志論でもない立場があるのですが、それについては今回は省略します。

凡さんすの考え:自由意志は「ある」と信じたい。

最後に私の考えを述べますと、自由意志はあると考えています。

というよりは、「あると信じて」います。

以下で詳しく説明します。

自由意志が「ある」証拠も、「ない」証拠もない

この記事でお伝えしているような議論の方向性に乗ると、自由意志が存在するための必要条件として、物理的な法則に還元されない魂の存在があります。

しかし、神とか来世などと同じように、この魂というものが存在するかどうかは、どれだけ科学が進んでも人間に分かるものではないでしょう。

したがって、自由意志があるかどうかは、人間には究極的には分かり得ないのです。

自由意志があるかどうかは「信仰」の問題

となると、「自由意志があるか否か」という議論は、結局、各人が「ある」と思いたいか「ない」と思いたいか、いわば「信仰」の問題になります。

この点、私は「ある」と思いたいです。

何故ならば、「ある」と思わなければ道徳的責任が発生し得ないからです。

たとえば、私が道を歩いていて突然通りすがりの人からぶん殴られたとします。

謝って欲しいと私は思いますが、もし自由意志がないとすれば、「ここで殴られることはもともと物理的な因果関係で決まっていたんだな」という世界観になってしまいます。

もはや刑罰とか功績とかそういうのがあり得なくなるんですよね。

私はそんな世界観は望まないので、「自由意志はある」と想定していきたいと考えております。

まとめ

今回は、「自由意志」についてお話を進めてきました。

ちなみに、今回私が最後に示した「自由意志はあるかどうかわからないけど、あると信じる」という立場は、18世紀のドイツの哲学者エマニュエル・カントの思想とほとんど同じです。

気になる方はカントの思想もぜひのぞいてみてください!

人間の自由意志は「あると考えたい」:カント哲学の考え方を解説


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