災害時の不謹慎狩りは正当?SNSは自粛するべきなのか?

災害時に有名人等が災害とは関係ない投稿、特に楽しそうな投稿をすると、「不謹慎」「自粛すべし」として叩かれる現象がしばしば起こります。

この点について、上のツイートの通り私の意見は、「不謹慎ではないし自粛するべきでもない」というものです。

ですが、あまり偏った考え方を持ちたくはないので、反対意見を理解するために、「なぜ『不謹慎である』という立論が成り立ちうるのか」についても考えてみることにしました。

というわけで、以下では、「<災害時、被災していない地域の人々がのリア充投稿(=楽しそうな投稿)をするのは不謹慎であるか>は、何によって決まるか」という問いについて考察していきます。ややこしいですが、議論はそこまで込み入った話はしないので、最後までお付き合いください。


訪問ありがとうございます!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、よろしければフォローお願いします!→ @academicocktail


不謹慎とは?

まずは、簡単に不謹慎の定義を確認しておきます。

不謹慎

慎みに欠けている・こと(さま)。ふまじめ。 「 -をとがめる」 「 -な態度」 「 -な行動」

出典:Weblio辞書

ということなので、次に「慎む」の意味を調べてみました。

慎む

① あやまちのないように、行動を控えめにする。 《慎》 「言葉を-・む」

出典:同上

結局定義らしい定義は出てこなかったのですが、とりあえず、「控えるべきことをしてしまう」のが不謹慎という状態で、あるツイートが不謹慎かどうかは、「そのときにするべきでないかどうか」という問題に帰着するでしょうね。あまり議論には影響しないのでこれ以上深掘りすることはやめます。

不謹慎な言動・行動:現実の場合

まずは、Twitterから離れて、現実世界の場合を考えてみましょう。

例えば、ある中学校の教室内で、誰かが大怪我して流血しているとします。このとき、同じ教室内でワイワイ騒いでいるのは不謹慎な行為であるかもしれません。

対応している人としてもイライラしますし、何もできないにしろ、当事者意識をもって、必要があれば何かしら対応する責任があるともいえます。ワイワイ騒いでいるのは不謹慎でしょう。

ですが、例えば隣の教室で騒いでいる場合、たとえ少しうるさかったとしても、別に不謹慎ではありません。

教室のようなひとくくりの領域を、<>付きで<場所>と呼ぶことにすると、

事故に逢った人と…

同じ<場所>にいる → 騒いだら不謹慎

違う<場所>にいる → 騒いでも不謹慎ではない

ということがとりあえず言えそうです。「→」の間にどんなロジックが入っているのかについて考えるのはここではやめておきます。

Twitterは<場所>なのか?

さて、ここで災害時のSNS投稿という問題に戻ると、「Twitterでつながっていれば同じ<場所>にいると言えるのか?」ということが論点になってきそうです。

図のような点線の<場所>が存在するのであれば、ツイートは自粛するべきであるし、そうでなければそうでない、ということですね。

これ以上掘り下げることはこの記事ではしませんが、

「Twitterのタイムラインは1つの<場所>」という前提 → 自粛すべし

「Twitterのタイムラインは<場所>ではない」という前提 → 自粛する必要なし

ということになるでしょう。

ですので、「どういう場合に、『同じ<場所>にいる』といえるのか」あるいはもっと簡単に「<場所>とは何か?」という点を掘り下げることによって、「災害時、被災していない地域の人々はリア充投稿を自粛するべきなのか否か」という問いを解くことができそうです。

この文脈で、「同じ<場所>にいる」とは、どういうことを意味するのでしょうか?

災害のことを知っていること?

物理的距離が近いこと?

自分が手助けできる可能性があること?

そして、Twitterユーザーとしてつながっていれば、これらの要件は満たされるのでしょうか?

みなさんの方でもいろいろ考えていただけたらと思います。

おわりに

今回は、「<災害時、被災していない地域の人々がのリア充投稿(=楽しそうな投稿)をするのは不謹慎であるか>は、何によって決まるか」という問いについて考察してみました!

実際に不謹慎狩りをしている方々は、妬みとかストレス発散などといった不毛な目的から行なっているのかもしれません。それでも、考え方によっては、「自粛すべし」という立論もありうるということです!

ところで、私の好きな言葉にこんなものがあります。

私たちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、私たちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察してはいないことから生じるのである。

出典:デカルト著、谷川多佳子訳『方法序説』岩波文庫、2017年、pp.8

自分とは相容れない意見や価値観を持つ人と相対したときに、どこが分かり合えないのか?を探っていけるようになるといいですね。そしたら、SNS上でも、現実世界でも、無意味は喧嘩がなくなると思います。


最後までお読みいただきありがとうございました!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、よろしければフォローお願いします!→ @academicocktail

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク