科学はなぜ可能なのか?カント哲学の「物自体」をわかりやすく

突然ですが、問題です。

「このりんごは何色ですか?」

もちろん、赤ですよね?

でも、中には、こんなことをいう意地悪な哲学者がいるかもしれません。

こういう厄介者を打ち倒すため、18世紀のドイツ人哲学者がある概念を提唱しました。

今日は、エマニュエル・カントの批判哲学の中心概念「物自体」をわかりやすく解説します。


訪問ありがとうございます!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、よろしければフォローお願いします!→ @academicocktail


物自体とは?

一番大事なポイントから始めましょう。

物自体」(独: Ding an sich)とは、カント哲学の中心概念であり、文字通り「あるものの本当の姿」のことを指します。

ここで「自体」が意味するところは、「仕事自体が楽しい」「パソコン自体が壊れている」などというような、日常で使う「自体」という言葉と大差ないのでご安心ください。

さて、カント哲学の中心テーゼを半分だけお見せしておくと、「人間は、物自体を認識できない」というものになります。(もう半分は記事の後半に書きます)

では、なぜカントのこの考え方は、哲学史上重要なものとされているのか?その理由は、この考え方が「なぜ人間には科学ができるのか?」という問いに対する答えにつながることにあります(そう聞くと、重要な感じしません?)。

それでは、「物自体」の考え方について詳しく説明していきます。

問題:りんごはほんとうに赤いのか?

冒頭の問いに戻りましょう。「そこにあるリンゴはほんとうに赤いのか?」

ここで、意地悪な哲学者(「疑いマン」と名付けましょう)が現れてきてこう聞いてくるという設定でした。

これに対し、地球上の人類70億人全員を連れて来て、「このリンゴは赤い」と言わせても不十分です。疑いマンはこう言います。

ここまで疑われたらどうしようもありません。実際、彼の疑いはある意味正しくて、仮に人間ごときにとって赤く見えたところで、それが”ほんとうに”(例えば全知全能の神から見て)赤いことの証明にはならないのです。

ただ、このように全てを疑ってかかる姿勢には、1つの大きな問題があります。それは、科学を進めることができないことです。

私たちの自然科学は、「リンゴは赤い」「鉄は錆びる」などの、観察で得られた結果に基づいて行われているので、彼のようになんでもかんでも疑っていては前に進めません。

では、どうするか。

カントの解決策は、ある意味開き直りです。

カントの解決策:物自体と現象の区別

上記のような疑いマン(哲学用語では懐疑論者と呼ばれます)に対するカントの回答は以下の通りです。

カントは、人間に対して現れるリンゴの像を(赤く見えるリンゴの像)を「現象」(独: Phänomene)と名付けて、リンゴの本当の姿である物自体と区別しました。そして、確かに懐疑論者の言うようにリンゴがほんとうに赤いかどうかはわからないけれども、人間に対しては同じように赤く現れるという形で、この手の問題に(一応)決着をつけたのです。

これによって、疑いマンの攻撃を”迎え撃つ”ことはできないまでも、少なくとも”よける”ことができました。

そして、ここにおいて「(疑いマンの言うように、リンゴが赤いかどうかさえ人間にはわからないにもかかわらず)なぜ人間には科学ができるのか?」という問いを解くことができます。

物自体を認識できない人間ではあっても、人間に立ち現れてくる現象は共通しているので、それに基づいて科学を行うことができる」というのが、上記の問いに対してカントが与える答えです。

「リンゴが”本当に”赤いかはわからない」けど「”人間にとっては”赤く見える」→「リンゴは赤いものだということにして実験・観察を進められる」

「鉄が本当に錆びるかはわからない」けど「”人間にとっては”錆びるように見える」→「鉄は錆びるものだということにして実験・観察を進められる」

つまり、「人間は、物自体を認識できないが、現象のおかげで”人間にとっての”共通認識を作れる」というのが、カント哲学の中心テーゼです。

カント以前の伝統的な哲学(形而上学といいます)は、常に「リンゴが本当に赤い」ことをなんとか証明しようとして疑いマンのような懐疑論者とぶつかってきました。これに対して、「人間にはリンゴが”本当に”『赤い』かはわからないが、『赤い』という”人間にとっての”共通認識を持つことができる」という形で、伝統的な哲学に別れを告げつつ、懐疑論者を退けたのが、カントの哲学になります。

おまけ:懐疑論者ヒュームについて

実は本記事で登場した懐疑論者「疑いマン」にはモデルがいます。デイヴィット・ヒュームという、カントより少し年上のイギリス人哲学者です。

本記事ではカントを立てるためにちょっと意地悪に描写しすぎましたが、考え方の大筋は同じです。強力な懐疑論者(厳密に言うと完全な懐疑論者とは言えないのですが)だったヒュームを克服しようとしたところに、カントの批判哲学が構築されました。高校倫理の教科書にも出てくるくらい有名な人なので、気になった方は調べてみてください〜!

おことわり:カントを学んでいると必ずといっていいほどヒュームの思想が登場するので、本記事でも、カントの思想の際立たせるために、ヒュームをモデルにした懐疑論者を登場させることにしました。しかし、bitwin’はヒュームの思想それ自体は全く勉強したことはないので、カントを学ぶ過程で得たヒュームのイメージをもとに「疑いマン」を作りました。というわけで、「疑いマン=ヒューム」という図式で捉えるのではなく、あくまで、カントの目標の一つが懐疑論の克服だったということだけ掴んでいただければと思います。

おわりに

今回は、カント哲学の中心概念である「物自体」について解説しました!

もう一度ポイントをまとめておくと、

物自体(独: Ding an sich):もの(例えばリンゴ)の本当の姿

現象(独: Phänomene):人間に認識されるものの姿(例えば、赤く見えるリンゴ)

カント哲学の中心テーゼ:「人間は、物自体を認識できないが、現象のおかげで”人間にとっての”共通認識を作れる」(※すごく大雑把に書いてます)

こんな感じで、1記事1トピックずつ解説して、10記事くらいかけて少しずつカント哲学のポイントを解説していこうかなと思っていますので、楽しみにしておいてください〜♪(途中で疲れたらやめます笑)

読書案内

下にリンク貼ってるのが、今まで私が読んだ中で一番わかりやすかったカント哲学入門書です!興味を持った方は是非手に取ってみてください!!


最後までお読みいただきありがとうございました!記事の更新等はTwitterでお知らせしていますので、よろしければフォローお願いします!→ @academicocktail


スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク