社会科学を掘っていくと哲学的問いになる

実は先週末、社会人の方が主催されていた数学の勉強会に参加してきました。普段私は社会科学(人間社会の事情について探求する学問:政治学、経済学、法学、社会学……)ばかり触っているので、こういう他分野の刺激が受けられたのはとても貴重な経験でした。

さて、イベント後の懇親会で耳にした会話について思うところがあったので、以下に書いておきます。

統計手法を突き詰めると数学の深みにはまる

大学院で人間工学を研究されているという参加者の方が、その日プレゼンターだった数学徒の方に対して、以下のような質問をなさっていました。

「自分のは数学の専門家ではないが、自分の研究分野を深掘りしていくと数学の壁にぶつかる。具体的には、実験結果を考察・評価するために統計についての理解が必要になるが、統計を真に理解しようとすると測度論の背景知識が必要になり、測度論を理解しようと思うと今度は集合論の問題に行き当たる。結局のところ、数学を基礎からやらないと他の理系の研究もままならないのであろうか?」

※速度論、集合論はそれぞれ数学の分野の名前

これに対して数学徒さんは、だいたい以下のような趣旨の回答をなさっていました。

「統計の本質を掘っていくとどこまでも数学的な細かい話になっていってキリがない。研究に使うという目的であれば、全てを理解しようとはせずに、自分が納得するところでそれ以上掘るのを止めた方がいい」

彼によれば、どんどん突き詰めていこうとすると「数とは何か」的な議論にまで行かないといけないそうで(笑)。それを聞いていると、なるほど学問における「なぜ?」あるいは「◯◯とは?」という問いはどこかで止めないといけないんだなと納得しました。

さて、このお話を聞いた後、私は自分が普段触っている社会科学について考えてみました。自然科学の研究手法について深掘りしていくと数学的問いに辿り着くとのことですが、社会科学の場合にも「なぜ?」「◯◯とは?」と問い続けた場合何かに収束するのでしょうか?

社会科学の本質は「人間の性」

上記の問いに対してはすぐに自分で答えを見つけることができました。別段新しい発見ではなくて、多少なりとも社会科学に取り組んでいる方なら納得していただけることかと思います。社会科学の問いを突き詰めていくとたどり着く先は、人間の性(性質、本性、nature)です。

これは、社会科学が直接に人間それ自体について研究しているという意味ではありません。社会科学が扱っているのは、政治や、経済や、社会や、法律など、複数の人間が集まって作るさまざまな実体です。

人間について直接的に問うのは、哲学でしょう。「人間と他の動物を区別するのは何か」「人間が生まれながらにして備えているものは何か」「(人間にとっての)幸福とは何か」など、根本的に人間の本質に関わることを問うのはこうした学問の役割です(人間以外の対象も扱いますけどね。「神」とか)。

ですが、社会科学における命題も、「なぜ?」「◯◯とは?」と問い続ければ全ては人間の性についての問い、つまり哲学的論題にたどり着きます。いくつか例を出しましょう。

まず、政治学の場合。例えば、「雨の日は投票率が低くなる」という命題を立てたとします。これについて「なぜか?」と問われると、「雨の日はみんな投票が面倒だから」などと答えることになります。これについて次に「なぜ雨の日の投票は面倒なのか?」と問うと、例えば「雨の日は傘を差さなければならないから」という問いが浮かび上がります。次に、「なぜ傘をさすことなのか」、あるいは「そもそも面倒とは何か?」という問いに進んでいきます。このように、突き進んでいくともはや政治とは直接的に関係のない人間の感性に対する問いに落とし込んでいくことになるのです。そうなってはそれこそ”面倒”なので、私たちは普段「雨の日はみんな投票が面倒だから」という説明で納得し、それ以上の深掘りをやめることで、政治学という枠組みの中で議論を収めています。

経済学でも同様です。例えば、以前当ブログで紹介しました「オンラインレビューにおいてレビュアーにインセンティブを与えると評価の偏りが軽減される」という命題についても、その理由としてはおそらく「報酬を与えられると、レビューをしたいと思う人が増えるから」という答えが得られ、経済学の研究としてはそれで十分です。もしこのような問いを突き進めていくとしたら、例えば「報酬を与えられるとなぜ人間は動くか?」などという哲学的な問いに至らざるを得ません。

このように、人間社会の多様な分野を研究する社会科学ですが、突き詰めていくと人間の本性に関する抽象的な論題に行き着かざるを得ないことがわかります。「なぜ?」「〜とは?」と問い続ける姿勢によって成り立つのが学問ではありますが、学者のみなさんはそれぞれ自分の分野で必要とされる段階でその問いを止めているのでしょう。そして、どこまでも「なぜ?」「〜とは?」を止めなかった人が行き着く先が、社会科学の場合は哲学なのだと思います。

逆に、それまで誰も考えつかなかった斬新な理論を構築する人は、人間の本性に対する哲学的な問いから出発して結論を導き出すことが多くあります。例えば、政治学で言えば、ルソーは「原始社会において人間はどのような存在だったか」という問いからスタートして、人民主権のイデオロギーに基づく国家を理想としました(『人間不平等起源論』や『社会契約論』)。経済学で言えば、アダム・スミスは人間の感情の動きに関する考察を起点として(『道徳感情論』)、資本主義理論を構築しました(『国富論』)。

しばしば専門外の人から実用性や存在意義が疑われがちな哲学ですが、こう考えると、他の多くの学問を根本から基礎づけているという意味において、学の体系の中で非常に重要なポジションにあることがわかりますね!


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