男女別学か共学か?教育効果の観点から検討

児童が人間にまで教育される小さな社会は、彼らが後日完成した人間として入って行くべき大きい社会と全く同様に、男女両性の合併から成り立っていなければならない。男女両性は、彼らの注意が性の相違に向けられ彼らが夫となり妻となるよりも前に、まづ相互に共通の人間性を認め愛するようになり、男友達や女友達を持たなければならないのである。

出典:フィヒテ(著), 富野敬邦, 森霊瑞(訳)『ドイツ国民に告ぐ』玉川大学出版部, 1954年, pp.216

「うむうむ、その通りだ!」と、共学にいい思い出を持っている(別にモテてたとかではありませんよ笑)管理人としては頷きながら読んでいました。

が、「その通りだ」と思う人がいる時には大抵反対の人もいるわけで、ネットで検索してみたら、いろいろと面白い議論を見つけることができました。以下ではその一つを紹介して、男女別学の是非を検討してみたいと思います。

別学賛成派に対するいくつかの反論

別学賛成・容認派の論客を探し出して論破してしまおうと思いネットサーフィンをしていたら、次のような資料を発見しました。

第1回男女別学教育シンポジウム – 日本男女別学教育研究会

日本において男女別学の学校が減少しつつあるという現状に対して、「日本全体のためにも別学という教育システムを残し、 発展させなければならないという思い」を持って行われた基調講演の資料であるとのことです(同資料より)。

その想いのもと、男女別学のメリットがいろいろと述べられていましたが、そのうちいくつかはぱっと見で反論が可能なものでした(「間違っている」ということではありません。「反論の余地がある」ということです)。

いくつか引用してコメント加えます。

男女の特性(違い)に応じた教育

たとえば、教育方法のほんの一例ですが、

男子は競争が好き、女子は協力が得意なので、それに応じた授業展開を工夫することができます。

男子には命令口調で大きな声、女子には穏やかに小さな声で、教師の声や指示の 出し方も違ってきます。

出典:第1回男女別学教育シンポジウム – 日本男女別学教育研究会

確かに全体的な傾向はそうなのかもしれませんが、競争心のあまり強くない男子や、逆に負けず嫌いな女子もいるはずで、男子だからといって画一的に”男性的な”教育を施されるのは不憫ではないでしょうか?このように男女別でステレオティピカルな教育方針を採用してしまうことは、男女双方に関して、教師の想定するカテゴリーに合わない個人をおいてけぼりにしてしまうことにつながりかねません。

異性の目を気にしないで、のびのびできる

……異性からどう見られているかが気になって、容姿や髪型などの外観に必要以上にこだわり、劣等感や優越感の間を揺れ動きやすいのが、この思春期の子どもたちです。

悪く思われたくない、嫌われなくないという意識が働き、消極的になることも女子に多いのです。

出典:同上

それはそうですが、異性がいることによるそうした難しさも早いうちに経験しておくのが、長い目で見た時には人格形成に良い影響を与えるのではないかと思います。

教師のサポート・模範(ロールモデル)

男子校には男の教師が多く、女子校には女子の教師が比較的多い傾向があります……それには、むろん教育上の理由があるからです。

思春期にいる男子に、女性教師が指導するのはやや難しい面があります。

思春期にいる男子は、おおむね母親をうっとうしく思い、距離を置こうとします。

女性教師に対してもそうです。生活態度で細かいことを逐一注意されたり、勉強のことで口うるさく要求されたりするのをなかなか素直に受け入れることができません。

しかし、自分より年上で権威を認める男性教師から指示されたことには素直に従うことができます。 一般に男子は、権威ある存在から指示された方がよく動けるのです。

出典:同上

権威ある男性教員からの命令で動くから、学校運営としては男子生徒に男性教員を当てた方が楽なのかもしれません。しかし、それは子どもの道徳教育という観点から見て適切な手法なのでしょうか。「男の人に言われたから従う。女なら従わない」という性向が男子にあるとして、それを放置するのが良いことだとは思いません。誰に言われたかではなくて、道徳的観念からなすべきことをする、助言を受け入れる、という習慣をつけておくべきではないでしょうか。

でも、性役割の価値観に対する影響を考えると…

なんとなく共学の方がいいのではというイメージが私の中に先にあったので、ここまで、別学賛成派の意見に対していろいろと反論してきました。しかし、同資料をよく読むと、別学賛成派の意見にも一理あると感じます。私が納得したのは次の部分です。少し長いですが、大事だなと感じたのであまりカットせずに引用します。

男女が共にいる場ですと……これは男子、 これは女子と暗黙のうち役割分担が決まったり、あるいは両者が互いに譲ったり押し付けたりしがちになります。

たとえば、掃除もそうです。最近、掃除をすることが人格面の発達にもよいと評価されている反面、「掃除などの家事は女がするべし」という偏見をもっている男性もいます。

その点、男子校では雑事を女子まかせにすることがなくなるという良い点があります。 掃除などは真面目な女子にやらせて、男子はさぼるということが私の中学・高校時代にはありましたが、男子だけの学校なら、掃除は自分たちでやらなくてはいけません。 そして、男子だけでやらせると結構、彼らは真面目にやるものです。

また、女子校ではリーダー的役割を男子に頼ることも譲ることもなくなります。

女子校では、体育祭や文化祭などの生徒が主体となって取り組む行事のときに、よくあるように、男子がリーダーで女子が補佐という図式はありません。

いつも女子がリーダーを務めます。女子がリーダーとなって企画・運営していく力が 養えるのです。女子だけの行事と言っても、大いに盛り上がります。

このように男女ともに活動の可能性が広がり、それぞれがより幅広く能力を開発でき るようになります。

出典:同上

共学のみなさん、ご自分の学校生活を思い出して(現役小中高生の方は今の学校生活を思い浮かべて)みてください。男子が掃除をサボる、女子のリーダーが少ない……いずれもよく見られる現象ではありませんでしたか?

確かに、制度上平等ではあっても、あくまで一般的な傾向としての男女の特性の違いはあるので(私はこれは間違いなくあると思っています)、自然と役割分担を行ってしまうというのは、理論的にも経験的にも正しい気がします。

実は、冒頭に引用しましたフィヒテの言葉は、次のように続けられます。

……全体に於ける男女両性の相互関係、即ち一方からは勇敢な保護他方からは愛に満ちた援助という関係が、学校に於て明らかに示され生徒の中に養成されなければならないのである。

出典:フィヒテ(著), 富野敬邦, 森霊瑞(訳)『ドイツ国民に告ぐ』玉川大学出版部, 1954年, pp.216

フィヒテは、あくまで「男性と女性は役割を分担するべきである」という観念のもとで、男女共学を推奨していたのですね。もっとも、当時はこのようなジェンダー観が当たり前だったので、例えばフィヒテを差別主義者だとかいうわけにはいかないのですが、現代日本において主流になりつつある男女共同参画の価値観からすると、このような理由から共学を推奨するのは適切ではないかもしれません。

前節では別学賛成意見に対していろいろと反論を述べてまいりましたが、たしかに、両性の役割分担意識を過剰に助長することを防ぐという意味では、性差を意識せずにそれぞれがやるべきことをやる別学の方が適切であるというのはもっともな意見だと思います。

おわりに

今回は、男女別学の是非について、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』と日本男女別学教育研究会さんの講演資料をもとに検討してみました。実際に、世界的に見て別学の方が学力が高いというデータがあるそうですし、別学が合理的な教育形態であると判断するのが妥当なのかもしれません(参考:なぜ東大合格者数上位校は「男子校」「女子校」が多いのか)。

ただ、ここまで真面目に色々と考えといてなんですが、素朴に自分の周りの共学出身者・別学出身者を思い浮かべてみて、人格的な差は大してないような気がします。共学出身者の方が男女の差に厳格であるということもあまりありませんし、(今回の議論とは関係ありませんが)別学出身者が異性と話すのに特別困っている様子もありません(もちろん個人レベルでの差はありますが、それも共学出身か別学出身かにあまり関係なく生じている気がします)。結局、別学の方が勉強に集中しやすく進学率が高くなるということ以外は、あまり関係ないのかもしれないなと思いました。みなさんは、別学と共学について、どう考えますか??


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