世界は国家ではなく文明でできている『文明の衝突』

こんにちは!前回に引き続き国際政治学の文献を紹介させていただきます。今回の題材は、ハーバード大学教授サミュエル・ハンチントン氏(1927-2008)による『文明の衝突』(Clash of civilizations)です!

(以下、引用箇所における漢数字は、原則管理人が半角アラビア数字に直しています)

教え子に真っ向から反論したハンチントン

ハンチントンは、前回(民主主義が唯一最良の答え?:フクヤマ『歴史の終わり』)紹介しましたフランシス・フクヤマ氏の大学時代の師であり、彼に政治学を教えていました。ところが、独り立ちして実力をつけたフクヤマが出版した『歴史の終わり』は、ハンチントンの考え方とは相容れない理論でした。彼は、かつての教え子に真っ向から対抗する学説として、『文明の衝突』を執筆します。

今後の国際情勢の展望に対する両者の仮説を比較すると、

『歴史の終わり』:世界中の全ての国が民主主義国家になるだろう。

『文明の衝突』:西欧以外の国では必ずしも民主主義は根付かないだろう。

といったかたちで、とてもわかりやすく対立しています。

なぜ、ハンチントン氏は民主主義の普遍性を否定したのか。今日はその部分に絞って、同書の概要を紹介します。

文明パラダイム

ハンチントンの理論の出発点となるのは、「文明パラダイム」です。

(※パラダイム:思考の枠組み。ものごとをとらえる時に用いるフレーム)

当時まで、そして今でもそうですが、国際政治は「国家」という主体を基本単位として捉えられてきました。日本とアメリカが同盟を結ぶ、中国とベトナムが戦争をする、といった具合にです。

それに対してハンチントンは、そもそも「国家」という枠組みのみをもって世界情勢を捉えるのがもはや不適切であり、代わりに世界は「文明」(civilization)という枠組みで捉えられるべきであると主張します。

「文明」とはなにか。

文明は、最も範囲の広い文化的なまとまりである……文明の輪郭をさだめているのは、言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度のような共通した客観的な要素と、人びとの主観的な自己認識の両方である。

出典:サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳『文明の衝突』集英社、1998年、pp56~57

より簡単には、「同じ文化を共有する人びとの大きなまとまり」と表すことができるでしょう。例えば、日本とアゼルバイジャンが別の国であるように、イギリスとフランスも別の国ですが、後のペアの方が歴史や宗教、生活習慣などの面で「西欧」という同じアイデンティティを共有していることはイメージできます。このような「文明」のまとまりで世界を捉えるべきだ言うのがハンチントンの主張です。

このような、国家という単位のみをもって世界情勢を捉えるのは不適切であるという見解から、ハンチントンは現に同書中で際政治ではなく世界政治という言葉を使っています。

さて、ハンチントンによれば、1996年当時、世界には8つの文明があるとのことです。

<世界の8つの文明>

中華文明(中国など)

・日本文明(日本のみ)

・ヒンドゥー文明(インドなど)

・イスラム文明(北アフリカやイベリア半島にある数々の国々)

・西欧文明(西ヨーロッパとアメリカ)

・ロシア正教会文明(ロシアや旧ソ連諸国)

・ラテンアメリカ文明(中米や南米)

・アフリカ文明(アフリカ)

です。そして、ハンチントンは、二度の大戦期くらいまでは西欧文明の一強だったけれども、最近になって他の文明圏(例えば中国)の成長が激しく、西欧文明は巻き返される段階にある、と主張しています。そして、西欧が没落を回避するためには、自分たちが唯一の文明ではないことを受け入れ、西欧で団結して他の文明と対決していくことが大切であるとします。

(ほかに、文明同士の戦争をどのように予防するかなども同書の中心的な議論の1つなのですが、紙面の都合上割愛します)

他文明における民主化

さて、冒頭のテーゼに戻りましょう。

西欧以外の国では必ずしも民主主義は根付かないだろう

ハンチントンは、民主主義を他文明に布教しようとするアメリカやヨーロッパ諸国の活動がうまくいっていないことを指摘し、民主主義の普遍性を否定しています。その議論にあたる部分をいくつか引用してみます。

1995年現在、この目標(管理人注:他文明への民主主義の拡大)を達成しようとするヨーロッパとアメリカの努力はあまり成功していない。非西欧文明のほとんどの国が、西欧からのこの圧力に抵抗している……民主化を目指す西欧の努力に最も抵抗しているのは、イスラム諸国とアジアである。この抵抗は、イスラムの復興やアジアの自信を肯定する態度に現れている、自分たちの文化への確信というより広範な動きに根ざしている……アジアの評論家が西欧に繰り返し語っているのは、依存と従属という過去の時代は終わり、1940年代には世界の経済生産の半分を占め、国連を事実上支配し、世界人権宣言を起草した西欧は、すでに歴史のなかの存在にになったということだ。

出典:同上、pp.291

このように、「経済成長により自信を取り戻した他文明が、欧米のいいなりに民主化を進めることに抵抗を示しだした」というのがハンチントンの見解です。また、別の箇所ではハンチントンはこうも述べています。

また非西欧諸国の人びとは、西欧には原則と実際の行動の間にギャップがあるとかねてから指摘している。偽善、ダブル・スタンダード、「例外」が、普遍論者の主張の裏にあるというのだ。民主主義を広めようとするが、それでいてイスラムの原理主義者が権力を握りそうになると民主主義にはこだわらない。

出典:同上、pp.277

これが事実なのであれば西欧は「ごめんなさい」というほかない気がしますね(笑)西欧としては、他文明色の強い権力者は今後の民主主義定着に有害に思われるから、警戒したいところなのでしょうけれども、こうした態度が矛盾に満ちたものであることは否定できません。

民主化は普遍的なものとなるのか

さて、ハンチントンの言っていることはもっともですし、経験的に言っても、世界じゅうが民主化に向かっている様子は今のところ見えません。『歴史の終わり』で言われている、冷戦終結によって民主主義が普遍的な政治体制として地位を確立したという主張は少し修正する必要があるかとは思います。

ただ、それでも長い目で見れば民主主義は普遍的な政治体制になるのではないかと言うのが私の見解です(「なるべきだ」とは言っていませんよ。私自身の政治信条には触れません)。

引用箇所を見る限り、民主主義が他文明で受け入れられないのは、それが現状としては西欧からの押し付けになっているからだという気がするんですよね。部外者からの押しつけに反発があるのはある種当たり前で、民主主義にとくに目立った不満が表明されていない現在の日本でさえ、「おしつけ憲法」として現行憲法を批判する声もあるほどです。

ですが、今後現在の発展途上国が経済発展を遂げて市民が力をつけたり、あるいは人の移動の活発化により価値観の多様化が進んでいくに従って、内部から自発的に民主化の動きが促進される可能性は考えられると思います。

確かに、集団主義の強いイスラーム圏やアジア圏において、西洋民主主義的な「みんな平等、みんな自由、みんな主権者」という考え方が受け入れられることは、現状では考えにくいかもしれません。しかし、ヒトの移動が盛んになってきて、いろんな人がいろんな国に住むようになると、ゆっくりとではあれど文明の固有性が薄れてくることはイメージできます。そうなると、価値観の多様化が進んで、西欧的価値観に寄る寄らざるを問わず、集団主義から個人主義へのシフトは必然的に進んでいくのではないでしょうか。そして、特定の集団、あるいは特定の権威を大事にする価値観が薄れてくるにつれて、一般市民が個人の権利や人民主権を主張するようになるのは、自然な流れであるような気がします。

そもそも、民主主義の先駆けとなったイギリスやフランスでも、革命の過程で独裁政治や恐怖政治を経て、長年にわたり何度も失敗しながら安定した民主主義制度が形成されてきました。この事実に鑑みても、現状、諸国で民主化が停滞しているからと言って、この先もそうだと判断するのは早計だと思います。

おわりに

同書の何よりの意義は、「みんなが当たり前に受け入れている考え方に疑問を投げかけた」点にあると思います。世界情勢は「国家」を単位として分析するのが当たり前でありだれもがそれを前提として議論をしていたところに、ハンチントンは「国家だけをもっては説明できないものがある」として、新しく「文明同士の関係」をもって世界を眺める視点を提供しました。

このような、みんなの思考の枠組みをがらっと変えようとする試みは、学問の世界以外でも非常に意義深いものになり得ると思います。私たちも、何かがうまくいかないときは、当たり前だと思っているものを疑ってみるところから始めるといいかもしれませんね。

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